3つのたねに絵本の水を

日々思ったこと、子育てエピソードと共に、3人の子供たち(にーさん(中1)ひめ(小3)ちび(年中))に読み聞かせた絵本を1冊ずつ紹介しています。

人のいいところ、言葉にして教えてあげよう「ぼくはなきました」

こんにちは。

ふとカレンダーを見て、あれ、2019年ももう9月なのか!と驚いたくるみです。

 

さて。

私は元JUDY AND MARYYUKIさんが好きなのですが、彼女が昔、「何か1つ自分の誇れるとこを見つけてバリバリって見せていけば生きていける」みたいなことを言っていたのが印象に残っています。

 

それを聞いて私は思いました。

 

確かにそうだ!

自分の好きな所。得意なこと。人とは違うところ。

1つ見つけて、それを生かすことだけを考えれば生きやすいだろうな。

本当にその通り!

と。

 

でもね…

その何か1つが何なのかがわからないんだよ…。

 

速い足、

1つだけ抜群に優れた教科、

生まれてからずっと大好きで続けている趣味、

など…

 

これといった何かを持っている人ってどのくらいいるのだろう。

 

私は、自己肯定感があまりなく、他の人と比べて秀でているところなど見つけられず、さらには、優柔不断で好きなことさえも絞ることができませんでした。

 

そんな私が、ぶつかった大きな壁は就活です。

 

就活は、正に自分の誇れるところを見つける作業です。

 

自分に向いている職場を探す。

自分の長所を見つけて、アピールする。

自分には何ができるのかをプレゼンする。

 

私が大学卒業した頃、世は正に就職氷河期と呼ばれるまっただ中でした。

 

試行錯誤し練った案を、緊張でうまく伝えられず、落とされる。

伝えられなかったから落ちたのか、伝えられても落ちたのか…

 

まるで自分の長所なんてない、もしくは長所があったとしても役に立たない、と言われているような気になり、落ち込む。

 

そんな日々でした。

 

私のいいところってどこなの?

泣きたい。

 

今日の絵本は、そんな当時の心境を思い出した絵本です。

 

その1つが見つけられない

学校で、参観日に自分のいいところを書いて発表することになりました。ところが、いくら考えても思い出すのは友達やお母さんのいいところばかり。「ぼくは いいところが ありません」泣きそうになりながらそう言ったとき、先生は…。自分探しをする全てのひとに生きるヒントをくれる絵本です。

 

なにかひとつに自信があれば、それだけで生きていける

と帯にあります。

YUKIさんも言ってた通り、やっぱりそうなんですよね。

 

けれど、その1つを見つけるために主人公のぼくは悩みます。

どんなに考えても、人のいいところばかりが浮かんできて、自分のいいところは1つも浮かびません。

そして、とうとう先生に助けを求めます。

 

主人公のぼくが泣きそうになりながら先生に訴えるところで、その絞り出した想いにじんときてしまいました。

 

ぼくは いいところが ありません

 

子供にそんな想いまでさせて、いいところをアピールさせる授業ってどうなんだろう、とさえ思います。

わざわざ言葉にしなくても、誰にだっていいところはあるのに。

 

そもそも、「いいところ」という、良い悪いで評価をすること自体が、人格を尊重することに反しているのではないのか…などなど、

反発心が芽生えてきます。

 

要は、悩み苦しむぼくが可哀そうなのです。

 

でも、現実的には人生でいつかはぶつかることです。

自分のいいところを明確にわかっていた方が、生きていく上で断然生きやすいのです。

小さいうちに考えておいた方がいいのかもしれません。

 

追い詰められたぼくに、先生は優しく、ぼくのいいところを教えてくれます。

 

そこで、はたと気付きます。

自分のいいところを見失っている時、誰かに教えてもらえるのはいいな、と。

 

こんな風に仰々しく教えてもらわなくても、日常的にたくさん褒め合っていればいいんだ、と。

 

自分では気が付かなくても周りが気づくことってたくさんあります。

「私はあなたのこういうところが好き」と普段から言っていれば、言われたことの中から自分で納得のいく誇れるところを見つけられるかもしれません。

 

こんな風に迷いなく、子どものいいところを本人に教えてくれるような先生に、我が子が教えてもらえるといいなぁ。

 

学校が好きになるシリーズというだけあって、素敵な先生が描かれています。

にーさんが習ってきた先生もわりとこんな感じの先生でした。先生とは人のいいところを見つけることができる人が向いていそうですね。

 

なんて思ってないで、 親の自分自身がもっと子どもにいいところを言ってあげたらいいんですよね。

 

明日から、意識してもっと言葉にしてみようかな。

 

相手を想う気持ちに終わりはない「おかえし」

こんにちは。

ホームベーカリーの羽根が見当たりません。誤って生ゴミと一緒に捨てちゃったのかもしれません。

あの小さな部品がないだけで、この重たい箱型の機械があっても何にもできない…

鍵とか水筒のパッキンとか、小さいくせに、なくなると致命的な物の存在が恐いくるみです。

 

さて。

皆さんはプレゼントをもらうのが好きですか?

 

うんうん、嬉しいですよね。(勝手に^^;)

誕生日にクリスマス、サプライズ、お土産、ホワイトデーに出産祝いなどなど…

贈るのも贈られるのも嬉しいものです。

 

けれど、実をいうと私にとって、嬉しいのと同じくらい、苦手なことでもあります。

 

というのも、お返ししなきゃいけないかな、お返しのプレッシャーを与えちゃったかな、などと考えると、素直に喜べないのです。少し重たい気分になることもあります。

なんてこじれてるの、私って…(泣)

 

私の母は、お返しにうるさい人で、「もらったんだから返さないと」「あの人には前にお祝いをもらっているから…」「あの時あげたのに何にもないわ」などと言っているのをよく聞いてきました。

 

一方、私はというと、とにかく忘れっぽくて、抜けているので、お返しするのを忘れることもしばしば…

 

その度に罪悪感に苛まれるので、いただくこと=お返しのプレッシャーという思考回路ができているのです。

 

これって私だけでしょうか?

 

思えば、結婚式での引き出物や、新婚旅行のお土産、出産祝いの内祝い、バレンタインデーなど、日本にはお返しの文化が根付いているように思います。他の国と比べてどうなんでしょう?

 

本来なら、感謝の気持ちを表すはずのものなのに、そのせいで心から感謝できないって、本末転倒もいいところ。

どうにかしたい心の動きの1つです。

 

個人的にはお返しなんてなくなってしまえばいい、と思います。

 

気持ちがある時に贈る、お返しを期待するような贈り物は贈らない、いただいた物に対してはその場で精一杯の感謝を示す、という方がシンプルで相手に負担もかけない気がするのです。

いただいたことをきっかけに、私も贈りたい!と思って贈り物するのはもちろんいいのですが…(それがお返しっていうものなのでしょうけど)

 

お中元やお歳暮などの文化がなくなりつつある昨今では、人々はこんなところで立ち止まらず、良いバランスで自分らしく贈り物ライフを楽しんでいるのかもしれませんね。

不器用な私はうまいバランスがわかりません。私も早く抜け出したいっ!

 

いただいたからお返ししないと…

という心理をとっても可笑しく、可愛く、物語にした絵本があるので紹介します。

 

エンドレスおかえし

 タヌキの家の隣に引っ越してきたキツネのおくさんは、タヌキの家へイチゴを持ってあいさつに行きます。すると、それをもらったタヌキのおくさんは何かお返ししなくちゃと家の中を見回し…。さあ、キツネとタヌキのお返し合戦の始まりです。小さい子供も物語で笑える楽しい絵本です。

 

お返しのお返しをするキツネのおくさんに、

お返しのお返しのお返しをするタヌキのおくさん。

それに対して、お返しのお返しのお返しのお返しを・・・

いつまでも続くお返し合戦。

そろそろ終わるのかと思いきや、待って!そんな大切な物まで!

 

ひめは最後まで静かに聞いていましたが、読み終わって、

「変なの~(笑)面白い、もう1回読む!!」

と気に入っていました。

 

最後の最後まで、ただ相手のことを想って贈っている様子のタヌキさんとキツネさんがとぼけているけれど、心優しく純粋で微笑ましいです。

 

似たもの同士、最後にはすっかり仲良くなっています。

 

お返しなんてなくなれば、なんて導入で書いておきながら矛盾していますけど、お返しという形から絆が生まれることもあります。

相手を想い、お返しをする、というのはお返しの素敵なところ。

どんなツールでもいい面はあり、バランス良く使えば人生は豊かになる、ということですかね。

キツネさんたちが、“お返し”をバランス良く使った...かは疑問ですけど(笑)

 

わかりやすい物語展開は、幼稚園児でも楽しいと思います。

最終的にどうなるか、をどこで予想できるか、この辺は年齢に寄りますね。

広い年齢層で楽しめる絵本だと思います。

おかえし (こどものとも傑作集)

おかえし (こどものとも傑作集)

 

 

かくれんぼで成長を感じる「うずらちゃんのかくれんぼ」

こんにちは。

気分が落ち込んできたら穂村弘さんのエッセイを読んで元気を出すくるみです。

 

さて。ひめは年中からピアノを習っていて、ピアノの音を聞いてどの音かを当てることができます。

 

自分には全くできないことなので、すごいなぁと思います。

ひめは親の私も引いてしまうほどの音痴なのですが、それとこれとは関係ないのですね。不思議です。

 

先日、鍵盤を見ないで適当に弾いた音を当てる、という練習をひめがしていたら、ひめが言う前に横からちびが「ミ〜」と。

「すごい!合ってる!」とひめは興奮しています。

 

まさか!?聞き分けらけられるのか!?と驚く私。

勝ち誇ったようなドヤ顔のちび。

 

「姉が習っていただけなんですけど、自然とわかるようになって…」と説明する天才キッズの図が脳裏にかすめました。

 

「すごい!すごいね!じゃあ!じゃあこれは?」

と興奮したひめが期待をしつつ、ファの音を弾きました。

私もひめも乗り出し気味にちびの回答を待っていたら、ちびは自信満々に、

 

 

 

「よ!」

 

……よ……かぁ。

 

そうだよね〜、まだドレミも言えないもんね〜。まぐれに決まってるよね〜。

 

と、みんなで笑いました、とさ。

 

今日の絵本は、そんなちびが大好きなかくれんぼの絵本です。

 

かくれんぼで成長を感じる

うずらちゃんがひよこちゃんとかくれんぼをします。「もういいかい」「もういいよ」うずらちゃんはどこにかくれたのかな?ひよこちゃんが探していると、ハプニングが起きて…「みーつけた!」探し絵遊びもできちゃう可愛い赤ちゃん絵本です。

 

「じゃんけんぽん」

と鬼を決めるひよこちゃんうずらちゃん。

 

「パーのかちだ〜」

とちびが言います。

ちびは最近じゃんけんの勝ち負けを覚え、じゃんけんにはまっているのです。

 

かくれんぼもいまだにちびが大好きな遊びです。

 

まだ小さい頃、自分で自分を目隠ししただけで隠れたつもりになっていたちび。

(これはまだ脳が未発達で、自分と他人と見えている物が違うということが理解できていないから、らしいです。)

 

少し前までも、ずっと隠れていることができず、途中で「ここだよ〜」と出てきてしまっていました。

 

けれど、いつの間にかしっかり隠れていられるようになり、体が小さいから隠れる場所にも困らずに上手に隠れられるので、なかなか見つけられません。

 

成長しているんだなぁ…。

 

ひよこちゃんたちのかくれんぼは体の模様を使って、擬態して隠れるので、探し絵の楽しさも味わえます。

ちびが、ぐるっと見回してすぐわかるくらいの見つけやすさなので、小さい子も楽しめます。

 

少しのハプニングと最後のちょっとしたドキドキも、小さい子ども受け間違いなしです。

 

そういえば、みんな何も聞かなかったけど、"うずら"なんて知っていたのかな…?

 

 

赤ちゃんにもぴったりの可愛い絵本です。

うずらちゃんのかくれんぼ (幼児絵本シリーズ)

うずらちゃんのかくれんぼ (幼児絵本シリーズ)

 

 

姉の気持ち、妹の気持ち「ねえさんといもうと」

こんにちは。

夏休みが終わり、今日から学校が始まりました。にーさんは昨日の夜遅くにやっとのことで終えた自由研究を持っていきました。

学校始まるぅ!と浮かれていたものの、今日は給食ないんだった!と慌てて昼食のことを考えたくるみです。

 

さて。

以前、"アナと雪の女王"が流行った頃。

アナ雪について話していたら、友達が「まったく姉の気も知らないでさ」と言い、その一言が思ってもいなかったので驚きました。

 

友達は三姉妹の1番上。

 

アナ(妹)はエルサ(姉)の気も知らないで天真爛漫、無責任に後先顧みず勢いで行動している、と感じながら観ていたとのこと。

 

兄と2人兄妹の私には、想定外の感想だったのですが、(どちらかと言うとエルサが1人で背負い過ぎだと思っていた。)最近になって、我が子を見ていてその気持ちがだんだんわかるようになってきました。

 

ひめとちびは姉妹です。

親バカ極まりないですが、ひめは本当によくできた子で、ちびがどんなにわがままを言っても、辛抱強く、優しく、面倒をみてあげます。褒めてあげるのもとても上手です。

 

それに比べて、ちびはやりたい放題。

おれのものはおれのもの、お前のものもおれのもの。

都合が悪くなれば泣いて、何かお願いしたい時は甘えて…

 

そんな2人を見ているとつくづくお姉ちゃんって大変だなぁ、と思うのです。

 

今日出逢った男性とあっという間に婚約して浮かれて、具体策もなしに根性論を語るアナと、苦悩の末に孤独を受け入れる覚悟をするエルサ。

 

そういえば、"となりのトトロ" のメイとサツキも感情のまま生きるメイと我慢強く面倒見のいいサツキの姉妹ですね。(メイの自由さは幼さゆえな気はしますが…)

 

私の場合は兄がいますが、上が男だと面倒をみてもらった記憶はほとんどなく、姉妹とはまた少し違う気がします。

けれど、誰かが何とかしてくれるんじゃないか、何事もまあ何とかなるかなという他人任せの基本姿勢は私の中にもあると思います。

 

もし、妹がいたら、私も面倒見がよくなっていたのかな…

面倒見のいい優しいお姉ちゃんが欲しかったな…

 

そんなことを思う最近。

 

今日の絵本はある姉妹のおはなしです。

 

姉の気持ち、妹の気持ち

小さい妹は、いつも姉さんといっしょです。 学校へ行くときも、遊ぶときも、おやつを食べるときも。 姉さんは妹の面倒を見てくれます。姉さんは何でも知っているのです。そんなある日、妹は1人になりたくなり…。小さな姉妹のそれぞれの気持ちが手に取るように伝わってきてそれぞれの健気さにじんとする絵本です。

 

この絵本、本屋さんで見たとき、表紙にやられてしまいました。

大好きな酒井駒子さんの絵。

そして、頭の形、細い髪、パーツの薄い顔、華奢な腕…

絵本の姉さんが、ひめそのものに見えたのです。

 

姉さんは妹の面倒をみてくれます。

道路では手を繋ぎ、おやつの時間には甲斐甲斐しく牛乳をいれてくれます。

 

その姿はひめがちびの面倒をみている姿と重なります。

優しいなぁ。かわいいなぁ。(超親ばか)

 

そんな姉さんに世話されている妹が、ある日、1人になりたくて、こっそり家を出て行きます。

 

まあ、その感情もわかります。

世話を焼かれる方の少し鬱陶しく感じてしまう気持ち。

 

けれど、自由になった妹の開放感と対照的に、姉さんの心細さや心配する姿が切なくて胸が痛いです。

 

読み聞かせながら、ひめはどんな気持ちで聞いているのだろう、とひめの反応を伺っていたのですが、やっぱりひめは姉さんの立場で考えてるようでした。

 

「お姉ちゃんでも何でもは知らないよねぇ。」

「1人で行ったら危ないよ。」

 

妹がいなくなって、そわそわするひめ。

 

なんか、お姉ちゃんが不憫だ…

 

この絵本はアナ雪と違い、私も姉目線で読みました。

それは物語のせいか、私がひめとちびの姉妹を普段見ていてお姉ちゃんに肩入れするようになったせいなのか…。

 

妹を探している姉さんが可哀そうで可哀そうで。

何も知らない(もしくは知っていても気にしない)妹の行動に腹立たしささえ感じてしまいます。

 

けれど、読後には、やはり妹の存在が姉さんの励みになったり、助けになることもあることに気付き、寄り添う2人に穏やかな気持ちになれました。

 

ふたりの姉妹の姿に、人が人と関係を築くことの奥深さについて考えさせられます。

 

親と子もそうで、世話をしてる人ばかりが頑張っていて大変で、感謝すべき存在であるとは限らないのですね。

世話をすることが楽しかったり、生き甲斐だったり、成長する姿を見せてもらったり。

さらには、関係は変わっていき、時が経てば対等になり、同士になり、やがて、助けてもらう日もくるかもしれない。

 

結局、エルサもアナの勢いのある行動に助けられたことだし。

 

我が子たちも、お互いに感謝しつつ、助け合える姉妹になってくれたらなぁ。

としみじみ思います。

 

大好きな絵本です。みなさまもぜひ。

ねえさんといもうと

ねえさんといもうと

 

 

勉強したいと自分から思うには…「シロクマのしゅくだい」

こんにちは。

お盆から1週間ほど、両親の里である大分に行ってきました。

今までになく長期滞在したので、まだ非日常気分のくるみです。

(そしてまた更新が遅れてしまいました…)

 

さて。夏休み後半戦。

長く感じた夏休みもあと少し。

 

にーさんの自由研究は…

 

終わっていません。

 

完璧主義のにーさんは、あーでもないこーでもないと進みが遅く、その完成度を目指すならもう少し早くからやっておけば良かったのでは、と口を出したくなるところをぐっとこらえています。

 

自由研究を抱えた皆さま、もう終わっているでしょうか?

 

面倒に感じがちな自由研究ですが、好きなことを掘り下げるチャンスですよね。

(子供の頃はそんなこと考えもしなかったけど)

 

学校向けに勉強っぽいことをせずに、ゲームに関することとか、手芸だとか、自分の好きなことで、小さなテーマを1つ決めてとことんやってみる。

どんなことでも1つのことをとことんやってうまく伝わるようにまとめれば研究になるような気がします。

大人になると雑務に追われ、なかなかできないから楽しそうなんだけどなぁ。

 

思えば、YouTubeの「〜してみた」とか、ブログで何かについて語るのって自由研究に近いですよね。

 

今なら、いろいろやってみたいことも思いつくのに。

 

工作系は好きではないにーさんは、テーマを決めることから難しく、あれこれ悩みます。

今年のにーさんは「大分の温泉について」にしたようです。

やっぱり実際に行ってみて触ったりして感じたりしたことは書きやすいものですよね。

 

もし北極に実際に行ったとしたら書くことはたくさんあるんだろうな。

今日の絵本はシロクマについての宿題を出された女の子のお話です。

 

ちゃんと自分の目で確かめないとね

シロクマについて知っていることを3つ書くという宿題のブリントに、1 すっごくおおきい、2 なんかたべる、3 たぶんらんぼう と書き込んだソフィー。そんな彼女のところへ本物のシロクマがやって来て北極を案内してくれることに!読んだらシロクマのこと、きっと好きになってしまう絵本です。

 

「しゃしんでみたからいい」という少女ソフィーを、

「ちゃんと じぶんの めで たしかめないとね。」

と北極へ連れて行くシロクマのオラファー。

 

鳥を眺めたり、くじらのうたを聞いたり、コケの塊(氷河鼠と呼ばれている)を見たり、氷の坂で滑り台したり。

一緒に過ごし、トラブルを乗り越えて、だんだん絆が生まれる2人(1人と1頭)が微笑ましく、最後のオラファーからのプレゼントに心が温まります。

 

一緒に「ぶるるっ!」と体についた水を払うシーンがひめは気に入り、私も好きでした。

 

北極での体験後、一変して夢中でレポートを書きまくるソフィーに、勉強の本来あるべき姿について考えさせられます。

やらされてやるのではなく、やりたくなるのが1番。

 

子供に勉強させたいとき、親がするべきことは、勉強させることではなく、勉強したいと思わせること。

知ることの楽しさや、人にうまく伝えることの大切さを心の底から実感させること。

 

言うは易し行うが難し。

わかっていても難しいし、時間がかかるんだよなぁ…

現実問題、期限や評価とどう折り合いを付けていくかが課題です。

 

まずは夏休みの宿題。

新学期に間に合えばいいですが(苦笑)

 

シロクマのしゅくだい

シロクマのしゅくだい

 

 

想像力を大切に「8月6日のこと」

こんにちは。

暑さと子供たちの騒がしさで発狂してしまいそうなくるみです。

 

今日は8月6日ですね。

私が子供の頃は、毎年この時期に"火垂るの墓"をテレビで放送していたような気がしますが、今はどうなんでしょう?

 

観終わった幼い私は怖くて悲しくて、二度と観たくないと思いました。

(それでもなぜだか3回くらいは観てるような…)

今でもサクマドロップスの缶を見るとハッとします。

 

戦後74年。

だんだん戦争を体験した方から直接話を聞くことができなくなってしまいますね。

歴史の教科書に載っている遠い出来事という感覚でしか戦争を捉えることができなくなってしまいます。

世界中が平和になって遠い出来事になるのならこんなに嬉しいことはありませんが、現実には世界では戦争はなくならず、人と人との間でも争いは日々起こっています。

 

戦争が繰り返されてしまうのはなぜなのでしょう。

人にはもともと自分さえ良いと思ったり他を攻撃することで快感を得る心があるから?

話が通じない利己的な人や国を懲らしめるため?

戦争で需要や雇用が増えて助かる人がいるから?

戦争と関係のない国の人が無関心だから?

戦争やいじめをなくすいい方法を思いつくことができないから?

 

いろいろ考えてしまうと難し過ぎて、戦争も避けられないことなのかもしれない、という気がしてきます。

"戦争は良くないこと”という前提が薄れ、ある意味においては戦争は有効で、仕方のないことなのだ、と。

 

戦争以外に方法がない。

戦わないで自分達だけ平和でいられるわけがない。

自分の国を守るため、正義のために戦おう。

 

簡単にそんな心理になるのは怖いことです。

どんな理由があったとしても戦争は良くないこと、です。

やってはいけないのです。

 

私は、なにはともあれ"戦争は良くないこと”という認識はだけは堅く持っていたいし、子供たちにも持ってもらいたいと思います。

 

では、そもそも、どうして良くないことなのか…

 

絵本を読んでみましょう。

 

どんなきもちだったでしょう

おかあさんのおにいさんは広島で衛兵をしていました。おかあさんは列車に乗っておにいさんに食べ物を差し入れしにいっていました。しかし、8月6日がきて…穏やかな瀬戸内海の島で生まれたおかあさんが本当に体験したお話です。

 

8月6日は毎年とても暑いです。

そんな夏の日の青い空を思い出させるような水色の表紙が印象的です。

 

この本の主人公は16才だった作者のおかあさん。

お腹を空かせているお兄さん(作者のおじさん)のために電車で差し入れを持っていきます。

妹が持ってきてくれた差し入れを、上官に見つからないように隠しながら食べるお兄さんの姿にリアリティを感じます。

 

そして8月6日がきて…

 

暗い色を使って描かれたページは倒れている人もヒト型に粗く描かれていて、細かい絵ではないので、子供にも安心して読めます。

 

けれど、粗いことを抜かせば恐らく本当の光景もこんな感じの色彩だったのではないか、と思います。

混沌と暗い色です。

ちびは「こわい!」と言って逃げていきました。

子供ながらに何かを感じとったのでしょう。

 

この光景を実際に目にした小さい子はどんな気持ちだったのでしょう。

この絵本の中にも同じような問いかけがあります。

 

おかあさんはどんなきもちだったでしょう

 

戦争が良くない理由は、もう、これに尽きると思います。

想像力を働かせろ、ということです。

 

そして、これは戦争という大それたことでなくても同じことです。

個人と個人でも。

 

"どんなきもちだったでしょう”

と問いかけながら自分の行動を省みること。

想像力を養っておくこと。

無意識で想像できるくらいに習慣化すること。

 

怒りなどに負けそうになることも多いですが、このことをいつも忘れないようにしようと思った8月6日でした。

8月6日のこと

8月6日のこと

 

 

花火大会の気分を味わえる「はなびドーン」

こんにちは。

夏休みなのに子供をどこかに連れて行ってあげるどころか、誰も寝ていないのに私1人が昼寝してしまうという、ダメダメのくるみです。

 

先週末、実家に行く途中、たくさんの道行く方の浴衣姿を見ました。

 

隅田川や立川で、花火大会があったみたいですね。

 

花火大会いいなぁ。

花火大会は大好きで、子供が産まれる前はよく行きました。

 

夜空に咲く光の花もさることながら、ドーン、ヒュー、パチパチという音も、風に乗ってくる火薬や煙の匂いも、懐かしく思い出すだけで心踊ります。

 

子育て中の皆さんは、子連れで花火大会に行っているのでしょうか?

 

私はハードルが高く、一度も行けていません。

ハードル① 暑い

ハードル② 時間が遅い

ハードル③ とにかく、人人人人人

 

人が多いことから、トイレが混む、帰るのが更に遅くなる、暑いうちから場所をとらないといけない…などなど…

ちびがグズグズする姿が、ひめとにーさんが苛立って喧嘩する姿が、浮かんできます。

 

うん、うちはまだ無理。

 

ああ、でも見たいし見せてあげたいな、大きな花火。

 

というわけで、気分だけでも絵本で味わおうとこんな絵本を読みました。

 

花火大会に行きたい!

くらーい夜空にシューッ、パンッ、ドーン、キラキラ。は・な・び。パッと現れる色とりどりの花火に、大人も楽しめる赤ちゃん絵本です。

 

正直、動画でみても生で見るのとは違うし、いわんや絵本をや、となめていたのですが、読んだみると、意外と気分が上がってきます。

 

何もないページから、ページをめくるだけで突然現れる、という表現が可能な絵本の特長が、夜空にパッと現れる花火と相性がいいのかもしれません。

 

見開きいっぱい使って、ヒューと四方八方に飛んでいき、どこにあがるのかわからないワクワクも、本物に近い感じがします。

 

そして花火の描写も、1色だったり、カラフルだったり、形も少しずつ違って、たくさんの種類が上がり、次はどんなのかな、と思って待つ花火大会そのものです。

 

大きな花火を一度も見たことのないちびは、パーンと広がった花火に手を伸ばして食べたフリをしていました。

美味しそうに見えたのかな。

 

ひめは、ディズニーランドで見たことがあるのでなんとなくは知っていたようですが、ニコちゃんマークの花火のところで、「すごい!こんな花火本当にあるの??」と興奮していました。

 

そういえば、ニコちゃんが現れる花火もありますよね。ドラえもんとかもあったような…。

見る角度によってキレイに見えたり、変な顔になったりするんだよなぁ。

 

そんなことも思い出し、思った以上楽しめ、花火大会気分を味わうことができました。

いつかはみんなで行きたいな。

はなび ドーン (とことこえほん)

はなび ドーン (とことこえほん)