忘れていた子ども心で追体験「ゆきのひ」
こんにちは。
子供たちと今年の目標を考えていました。
私「あまりにできないことだと途中でやる気がなくなるから、頑張ったらできるかも!くらいのことがいいよ。」
子供たち「わかった」
私「ママは、怒った時でも恐い顔とか大きな声を出さないようにしたいな」
子供たち全員「できないことは目標にしちゃダメだよ!」
……いつも言い争っている子供たちの意見がぴったり揃いました。
理想と現実のギャップを見せつけられたくるみです。
さて。
今年も暖冬なのでしょうか。
そこまで寒くはない気がします。
冬といえば雪、と連想するひめは、雪を心待ちにしています。
「かまくらってどうやって作るの?作って中でこたつ入りたいな〜」
「学校でみんなで雪だるま作ったら、すっごく大きいのできるよね?」
などと、夢は広がるばかり。
かまくらは、東京ではなかなか難しいと思うよ…
でも、東京で近年大雪が降った年もありました。
あれは何年前だったでしょう?
降り慣れていないので、雪かきの道具も手袋もなくて大変だったことを覚えています。
今年は降るのかな?
お正月に帰省した長野では雪を見ました。
降っていたのは少しだけですが、子供たちは興奮して、わざわざ雪を触りに外に出ていました。
子供にとって、雪というのは魅惑の遊び道具。
粘土のように形を変えられて、積み木のように積むことができて、ボールのように投げられる、最高のおもちゃ。
大人になった今の私は、雪といえば、寒さと静けさ。
初めはきれいなのに、溶けてぐちゃぐちゃになり、薄汚くなるときの残念さ。
そして、交通手段を止め、外出しにくくする足かせのような存在にしか感じられません。
雪に心躍らせている子供たちを眺めていると、自分がどれほど大人になってしまったのかを知らされます。
私には、もう雪にときめく気持ちは微塵もありません。
大人になるにつれて得たものも多いけれど、実は気付かないまま失ってしまったものもあり、それは、思っている以上に多いのではないかと思うこの頃です。
今日は、雪の日を楽しむことができた子供の頃の気持ちを少し取り戻せる絵本です。
感情は描かれていないのに
冬のある朝、目を覚ましたピーターが窓の外を見ると、夜中降った雪が積もっていました。ピーターは外へ飛び出し、思い浮かんだことを次々と実行していきます。雪に心躍るピーターの1日を一緒に体感できる絵本です。
ドアを開けたら、真っ白な一面の雪!
そんな時。
さあ、まずは何をするでしょう?
そう!
絶対、足跡をつけます!(よね?)
何の跡もついていないきれいな雪に足を差し出す瞬間、ザッと雪に沈む足の感触、自分が歩いた分だけへこんだ雪の跡を眺める時。
ワクワクします。
ピーターも足跡を付けて行きます。
つまさきを そとへむけて あるいたり、
また、つまさきを なかへむけて あるいたりした。
内股、がに股、って。
ピーター、ナイス好奇心!
次に、ピーターは両足を引きずって歩いてみます。
ああ!わかる!傘なんかも引きずりたくなるよね。
そんな感じで物語は進んでいきます。
ピーターは雪を見て、やってみたいことを次々と体験していきます。
それを読んで、私達自身も同じように雪と遊んでいるような気持ちになってきます。
物語では、ピーターの細かい表情や感情は出てくることはなく、淡々と描かれているのですが、雪をポケットに大切にしまう様子や帰ってからお母さんに一部始終を報告することからピーターがどんなに楽しかったかがよくわかります。
お風呂でもピーターは何回も何回も雪で遊んだ一日を思い出しています。
ひめはポケットに入れた雪が溶けて、ピーターががっかりするのではないかと心配していました。
ひめは、ストーリーの途中で心配事があるとそればかりが気になってしまうようです。
それにしても、なぜでしょう。
この淡々とした文章と、静かな優しい色彩の絵で、どうしてこんなに嬉しさ、楽しさ、驚き、ワクワク、がっかりが伝わってくるのでしょう。
忘れていた記憶の中の私自身の雪の日の経験と重なるからなのか。
具体的な描写がない方が想像が膨らむからなのか。
この余韻。この余白。
心の奥に深く届きます。
読み継がれるだけあるなぁと思う1冊でした。
みなさまもぜひ!