プリキュアは敵を倒さない!?「ゼラルダと人喰い鬼」
こんにちは。
一昨日公園で友達と遊んでいて、目の近くを虫に刺されてきたにーさん。
目に近いし蚊じゃなかったら腫れるかもしれない、と思ったものの、夕方から子供3人をゾロゾロ連れて待ち時間の長い皮膚科に行く元気がなく、心配しつつも放置してしまいました。
そうしたら翌日!顔半分が腫れ上がり、まるで別人のような顔になって痒がりはじめました…。
病院行って上げればよかったと後悔の嵐のくるみです。今日病院に行ってきます。
さて。
先日、ひめとちびを連れてプリキュアの映画を観ました。人生で2度目のプリキュア映画でした。
にーさんの大好きだった戦隊もの(ゴーカイジャーなど)の映画を観に行ったことを懐かしく思い出します。
かく言う私も小さい頃は、まだプリキュアなどなく、「ダイナピンク!」とダイナマンのピンクになり切って遊んでいました(年がバレる笑)
そんな私、プリキュアの映画に衝撃を受けました。
どのプリキュアもそうなのかはわからないのですが、少なくとも私が観た2作は、敵を倒さなかったのです。
これはネタバレになるのでしょうか、そうだとしたらごめんなさい…
これがプリキュアの標準なのかと勝手に思って書いてしまいます。
カッコいいアクションに煙が上がる爆発シーンで、怪獣のような見た目の敵を悪とみなし、5人力を合わせたら使える大砲のような武器を使って、ドカーン!とやっつける戦隊もの。
同情の余地のない非道な敵をやっつけるとスカッとします。
彼らにとって大切なのは正義と勇気、友情と協力。
同じ年代が見る番組なので、プリキュアもなんとなく、同じ感じだと思っていたのですが、違いました。
プリキュアは最終的に悪事を働いた相手の事情を理解し認めて、癒やして抱きしめました。
罪を憎んで人を憎まず。
そういうことです。
現実では通用しないこともあるでしょう。
甘い性善説だと笑われそうな気もします。
力では敵わない女子ゆえの夢物語かもしれない。
正義を振りかざして力でねじ伏せる以外に違うやり方があるんじゃないか。
そもそも、悪として見ているものは本当に悪なのか?
そんなことを、漫然と考えていました。
そんな時、ちょうど良くこの本と出会いました。
この本では、悪と思われるものはどうなったのでしょうか。
退治しないと不安は消えない?
子供を食べると人々に恐れられていた人喰い鬼に狙われた、少女ゼラルダは得意の料理で人喰い鬼をもてなします。ゼラルダの料理の美味しさに驚いた人喰い鬼はゼラルダを自分の城で料理を作ってくれるように誘います。ゼラルダは人喰い鬼のためにたくさんの料理を作ることにしましたが…ゼラルダの運命はいったい?
人喰い鬼という響き、朝ごはんに子供を食べるということ、ナイフについた血、鬼というのに一見人間にも見える見た目、なんとも恐ろしいです。
ちびは表紙を見て、「こわーい」と逃げていきました。
ひめとにーさんは集中して聞いていました。
途中で出てくる美味しそうな食べ物のページが楽しいです。異国のご馳走が並んだテーブル。ゼラルダは料理がとても好きなのです。
ひめは、たまに子ども包丁で切ったりしているのですが、火はまだ使わせていないので、ゼラルダが火を使ってお料理できることに「6さいからできるなんてすごい!」と心動かされていました。
料理が好きで、純粋な心を持ったゼラルダ、一体どうなるでしょう。
鬼は退治するもの、という昔ばなしのセオリーを覆す内容で、平和主義のひめには嬉しい展開でした。
それに比べて、にーさんはすっきりしない様子。
そうなんです、最後のページをよく見ると、不穏な空気が!
怖がりそうなのでひめには敢えて言わずにおきました。
悪を退治しなかったことで、不安は続きます。
けれど、悪い鬼がいなくなりさえすればそれでうまくいくのでしょうか。
そもそも、完全に悪を消し去ることなどできるのでしょうか。
悪い心は誰の心にも存在します。
断ち切り、ないものとして物事を進めるより、悪が大きくならないように注意しながら生きていくことが大事かもしれません。
そういう意味では、まちの人たちが手放しで喜んでいる様子も考えさせられるものがあります。
けれど、やはり悪は退治しないとすっきりはしないものですね。
微妙な読後感ではあります(笑)
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