心を元気にするには?「心ってどこにあるのでしょう?」
こんにちは。
早朝に布団から出るのが辛くなってきたくるみです。寒くなりましたね。
言おうと思った言葉を思い出せないとき、「この辺まで出てきてるのに」と喉あたりを指すこと、ありませんか?
頭の中で考えているのだから、声とは関係ないはずなのに。
ひめと話しているとその辺の感覚について面白いな、と思うことがよくあります。
ひめは頭の中に袋のようにいろいろが入っているイメージらしく、
「ちょっと待って。今ここ(頭)に探しにいくから。」(何かを思い出すとき)
「楽しい思い出がここ(頭)にきて、眠いのがぴゅってどっかに行っちゃった」(過去の話で盛り上がって眠気が飛んだとき)
などと頭を指さして言います。
手が冷たいものを触った時、冷たいのは手。冷たいと思うのは頭。「冷たい」というのは口。
そして、冷たいのは嫌だなぁとか、冷たくて気持ちいいと思うのは…こころ?
心って何?どこにあるのでしょう?
心はどこにあるのでしょう?
心ってどこにあると思う?胸かな…?好きな人の前だったり恥ずかしくなったりすると赤くなるのはどこ?嫌なことがあると痛くなるのは?いったい心ってどこにあるんだろう?可愛い動物たちも登場して親しみやすく、優しい言葉で身近な不思議を考えられる絵本です。
心を思うとき、心臓あたりを思い浮かべる人が多いと思います。
心臓の「しん」は心だし。
ドキドキしたり、バクバクしたり、体の真ん中にある大事な特別な場所という感じ。
でも、改めて考えてみると不思議です。
嬉しくて変化があるのは鼓動だけじゃありません。
ほっぺが赤くなったり、顔はにこにこ、頭の中はスッキリ。
悲しかったり辛いと、お腹が痛くなったり、涙が出たり。
動物たちだって,しっぽを振ったり、鼻をぴくぴく動かしたり、耳を垂らしたり。
たしかになぁ。心って胸にあるわけじゃないのかも。
この絵本を読んでいるとそんな気になってきます。
ひめは、読んでいる間中「何言ってるの、心はここにあるんだよね〜」と言って胸に手を当てていました。
頑なに信じて疑っていない様子でした。
どうしてだろう…
私は、というと、前述の通り、なんだか心のイメージが揺らいできたのでした。
心臓が体中張り巡らされている血管で身体と繋がっているように、心も胸にあって、身体とコードで繋がっているイメージだったのです。
胸に主電源があって、切れたら全部が暗くなるという感じ。
でも、心は身体中いろいろなところに単独に複数存在しているのかもしれません。
主電源などなく、カチっと付ければ1ヶ所だけ付けることができるランタンのような明かり。
そう思って、ふいに腑に落ちたことがありました。
今までずっと、落ち込んでいる人を元気付けようとするとき、もしくは自分がひどく落ち込んだとき、心の深いところに届くことをしなければと思っていました。主電源をつけなければ、と。
心に届くこと、とは、癒される音楽だったり、温かい言葉だったり、見守る姿勢だったり、きっと目に見えない、形のない何か。
誠心誠意尽くせば主電源に手が届くはず。
そして、度々失敗しては自分の無力さに落ち込んでいました。
心に届くなんて難し過ぎるのです。
真っ暗な家の中に入って、いくつもの部屋を通って主電源を付けに行くのなんて、困難です。
そうではなくて、とにかく、どこかの部屋を明るくすることがいい方法なのかもしれません。
無理やりにでも笑うと楽しくなる、という理論に、そんなのその場凌ぎじゃないかと懐疑的だったのですが、心がいろいろなところにあるというイメージを持つとすんなり納得、腑に落ちたのです。
根本の改善がなされてなくても、1ヶ所明かりが付くだけで元気になることってあるかもしれない。
むしろ、それはとても実践的で、最善の方法ではないでしょうか。
入り口から1番近い部屋に入ってカチっと、スイッチを入れるだけ。
その部屋は確実に明るくなるし、部屋の明かりが洩れて、隣の部屋も、奥の部屋も明るくなるかもしれない。
楽しくて笑うように、笑えば楽しくなる。
嬉しくって抱き合うように、抱き合えば嬉しくなる。
ご機嫌で鼻歌を歌うように、鼻歌を歌えばご機嫌になる。
安堵のため息のように、深く息をすれば安心する。
そういえば、にーさんが不安定なとき、1日1回抱きしめることで落ち着いたことがありました。
絵本から少し離れた話になり恐縮ですが、個人的にはっとした発見だったので記録しておきます。
みなさんもぜひ。心について何か新しい発見ができるかも!?