絵が上手い人の見ている世界「空の絵本」
こんにちは。
完全に上半身を起こして寝返りするちび。
夜中に猛然と起き上がる姿にビクッとするくるみです。
何度かブログでも話しているのですが、絵が上手い人に憧れています。
手帳にイラストや日記を描く人、
ブログにまんがを描く人、
「大人の塗り絵」をすごいクオリティで塗る人、
最近では、You Tubeで「本物に見える〇〇」を描く動画などがアップされていて、もう何が起きているのかわからないレベルです。
以前、絵の上手い友達が家に遊びに来たときに、「おえかきせんせい」(磁力で砂鉄みたいなものを引きつけてお絵かきできるオモチャ)を使って、すごく上手に絵を描いてくれました。
こんな道具でこんな絵を!という衝撃を忘れられません。
そんなわけで、絵が上手いというのはどういうことなのだろう、と考えることがよくあります。
私も、そこにあるものを見て描く、というのはある程度できるのです。
けれど、何も見ないで描くことができません。
例えば、自転車を描くとして。
どことどこがつながっていて、フレームはどのように曲がっているのか。
ということが、実物を見ないと全然わからないのです。
毎日自転車に乗っていても。
絵の上手い人は、写真を見るように対象物を鮮明に頭の中に思い浮かべられるのでしょうか。
それから、もうひとつ大きな要素である、色。
そこにあるものを鉛筆でなんとなくのデッサンくらいは描けても、色を塗るのはまるでダメです。
できるのは、1色の濃淡で、光と影を付けるくらい。
絵の上手い人が水面を描くときに、赤を使ったりしますよね?
水色に見える水なのに、赤!?
そして、絵が完成すると、それはとても自然でしかも効果的。
あれは、実際に水面を見るときに、既に赤が見えているのですか??
そのように考えると、絵の上手い人はきっと世界を見る目が既に違うのだ、と思うのです。
私には見えていない色彩や曲線を感じ取り、さらに一瞬の映像を切り取って保存できる。
そんな脳の機能が備わっているのだと思います。
生まれつきか、訓練によって。
そしてそうだとすると、自分は生まれてからずっと、一瞬一瞬の世界の美しさを見過ごして生きてきたのではないか、と、とても残念な気持ちになります。
私が認識している世界より、実際の世界はもっと多彩な色、美しい線形に満ちているのかもしれない。
この絵本では豊かな感受性で見た世界が体験できるような気がします。
世界はなんて美しいのだろう
雨、風、光。だんだんだんだん変わる空と空の下の緑の姿を、心地よい言葉と力のある絵で丁寧に写し取っています。ページをめくるだけで、風の音や光の輝きを感じることができる美しい絵本です。
私、荒井良二さんの絵が大好きなのです。
荒井良二さんといえば,「たいようオルガン」「ぼくのキュートナ」などの愛らしいキャラクターが浮かびます。
描く景色は子供のクレヨン画のように自由で、優しい色使い。
「あさになったのでまどをあけますよ」などの景色も、実際よりも明るく優しい配色でなので、写実的だと思ってはいませんでした。
けれど、こんなに普通に景色を描いても上手いのですね!(当たり前ですよね、失礼な言い方になってしまってごめんなさい。)
表紙の空の雲も疾走感があり、素敵です。
草木は雨によって暗くなり、風に煽られて、雨上がりには夕日を浴びて輝きます。
時間の流れとともにダイナミックに移り変わる光景に目を奪われます。
そんな中でも、雫や花の、写実では終わっていない、 荒井さんらしい愛らしい部分も、やっぱり素敵で、うっとり。
そして、言葉。
だん
だだん
だんだん
雨はつよくなり
と、「だ」と「ん」を多用したリズムと、
みどりいろは みどりいろに
空いろは 空いろに
と、たくさん色の描写。
その言葉にぴったりあった絵に、太陽や月や星からの光が地球の自然との作る色の美しさに、もう胸がいっぱいになります。
雨は影と水をもたらして、雨上がりに輝く金色や茜色。
子ども達は雨上がりの星空に夢中。
キノコや花、カエルにうさぎ、電話にポット。
小さく星のように描かれた光の形。
遊び心もいっぱいです。
「馬だ!」「これはなんだろう?」と全部を見ようとするひめに、本を奪われました。
雨降りの一日を眺め、最後は水に映るお月様を見て、ゆっくりページを閉じる。
至福のひとときです。
やはり。
この情景を実際に見てもこんな美しさを感じ取れないかもしれないなぁ、と思うのです。
絵にしてくれてありがとうございます、という気持ちになります。
静かな夜の余韻は寝かしつけにもいいかもしれません。
個人的感想がかなり強くなってしまいましたが、とってもおすすめの絵本です。