名前が欲しい=…?「なまえのないねこ」
こんにちは。
また更新が滞ってしまいました。
子どもと読んでいる絵本の数は以前より増えていて、下書きばかりが増えています。それなのに全然更新ができず、溜まる一方…焦るくるみです。
さて。
最近、村田沙耶香さんの本が好きです。
村田さん、「クレイジーさやか」と呼ばれているらしいですね。
そのクレイジーな世界にどっぷりはまるのが楽しいです。
クレイジーでもないような…と思いつつ、やっぱりクレイジー過ぎる、と思ったり。
「クレイジー」って何なんでしょう?
クレイジーと感じるのは普通だと感じている価値観があるから。
村田さんの小説は、普通だと思っていることが本当に当たり前なのかを考えるきっかけをくれます。
当たり前のこと、といえば。
例えば、私たちに、生まれつき名前があること。
私たち人間は生まれた時必ず名前を付けられます。
住民票に登録し、教育、納税の義務を果たすための名前。
それはまあ、社会的に必要な記号的役割ですが、名前の役割の神髄は、他と区別し呼んでもらうこと。
米津玄師さんも「アイネクライネ」 で言っています。
あなたの名前をよんでいいかな
誰かを必要とし、大切な存在として他と区別すること。
一方、地球上の生命体のほとんどは名前など付いていません。
乳酸菌1つ1つについて。
蝶一匹について。
そこここに咲くぺんぺん草のひと株。
人間以外の動物で、他の生命体に名前をつける動物はいるのでしょうか…
逆に、言葉という記号がなくても、周りの世界を認識できることが、すごいことにも思えます。
普段人から名前を呼ばれているペットの犬などは、しっかり名前というものの使い方を理解できているはずだけれど。
動物にとって名前を呼ばれるのはどんな気持ちなんでしょう。
名前を呼ばれるのは、やっぱり嬉しいものなのかな。
今日の絵本は名前のない1匹のネコのお話です。
名前が欲しい=…?
ぼくには名前がない。知っている近所のネコにはみんな名前がある。いいな。ぼくにも名前欲しいな。町を1人歩くネコが本当に欲しかったものとは?なんてことのない名前というものが大切に思えてくる1冊です。
表紙をめくると裏表紙に描かれたたくさんのネコ。
安直だったり、2つあったり、それぞれですが、みんな名前があります。
一方、主人公のネコには名前がありません。
こんなネコ散歩中にみたことある!と思うようなリアルな絵が素敵です。
太ったネコの貫禄。肉のたるみ具合も、触れそうなほどリアルです。
ちいさいときは ただの「こねこ」だった。
おおきくなってからは ただの「ねこ」だ。
なんだかさみしい孤独なネコ。
名前のないネコというと、「吾輩は猫である」を思い出し、なんだか自由なネコのイメージがあって、名前なんていらないんじゃないかと思ったりもしますが、このネコは名前が欲しいみたい。
我が家の女子2人は、このネコにすっかり同情して、「かわいそう」とか「私が名前つけてあげる!」と張り切ってネコの名前を考えたりしていました。
そして、ネコは、とても大事なことに気付きます。
たかが名前。
けれど名前を呼ぶ、ということは、その存在を他と区別するということ。
唯一の特別な存在として認められる、ということ。
この当たり前の、大切さについて思いを馳せられる絵本です。
(個人的にはネコは名前がないのも似合う気がするけど…)
ネコの愛らしさを描いた絵にも注目です。