多様性は善、に理由はいらない「フレデリック」
こんにちは。
連日の暑さと冷房との温度差で、じわりじわりと体がだるくなってきたくるみです。
夏休みになると、兄妹で過ごす時間が増えるので兄妹ゲンカに悩まされる、というお話は前にも書いたと思いますが、昨日も壮絶なケンカの末、ひめが大号泣しました。
実家で私と私の母とにーさんとひめの4人で一緒にかるたをしていたのですが、お手つきをしたひめに、ペナルティを課すかどうかで揉め、最終的に泥沼化しました。
「お手つきなんて知らなかった」と主張するひめ。(たぶん嘘。知っているはずですが)
「知らないなんて嘘だ。いくらでもお手つきしていいなら、最後の数枚でダミーのカルタを読む意味がない」と断固として譲らないにーさん。
「ひらがなを読むこと自体が幼稚園生には難しいのだからお手つきルールはやめてあげよう」と言う私の母。
「ホントなら1回お休みだけど、まあハンデだと思って見逃してあげよっか」とにーさんの気に障らないように言ってみる私。
そして、結果は…
説得空しく、にーさんが「ずるい。ルールが守れないなら入ってくるな」と批判したのに対し、ひめがひたすら泣きわめき、もう何も聞けないという収拾つかない事態になりました。
何度やっても陥るこのパターン。
うーん。
これ、傍から見てると大人は全員ひめの味方をしてしまうんです。
小4のにーさんと、年長の中でも小柄なひめは、男女差もあって体格は圧倒的な差。
もちろん頭脳も差があります。
ちょっとくらいのズルさやわがままは許してあげなよ。小4ならもうそのくらいはできるだろうに…という気持ちになってしまうのです。
ところが、実際は、にーさんの方が性格的にとても扱いが難しく、繊細で複雑なので、おそらくパニックに近い精神状態なのです。
「ボクは正しいことを言っているのに、みんながひめの味方をする。まるでボクが悪者みたい。ボクは悪くないのに悪くないのに悪くないのに!!どうせボクなんか…」
という心境なのです。
誰もにーさんが悪いなんて言ってないのになぁ。
愛されている実感が薄いのだと思い、母子2人で出かけたり、寝る前にスキンシップをとったりいろいろして、だいぶ落ち着いてはきたのですが、まだまだなかなかです。
そんなことがあり、憂鬱になった夜。
せっかく母にも孫の顔を見せて楽しい時間を過ごさせてあげようと思っていたのに。また心配をかけてしまった…
そして憂鬱な時についつい思い出される、同じ年の他の子の穏やかなエピソード。
良くないと知りつつ、我が子と他の子と比べてしまう自分にも自己嫌悪を感じ、さらに凹んでいく…
そんな時にも絵本は慰めてくれます。
今日は、変わり者のねずみのお話です。
「多様性は善」に理由はいらない
仲間の野ねずみたちが、冬に備えて木の実などを蓄えているのに、フレデリックだけは何もせずにぼんやりとしています。そして訪れた長い冬。フレデリックがしたことが仲間を勇気付け…
フレデリックは変わったねずみで、働かない点ではねずみ社会に不要な存在です。
が、一転し、辛い冬にみんなの心を明るくすることができました。
どのような性格が良くて、どのような性格が悪いのか。
それは、いつでも局面によって変わります。
みんなに煙たがれた性格が、思いもよらない所で誰かを助けることになるかもしれません。
私もにーさんに負けじと自己肯定感が低く、他人の良いところと自分の嫌なところを見比べては、生きることはしんどいなと思いながら大人になりました。
けれど、にーさんの育児でいろいろと考えている時に、「理屈はこねずにとにかく多様性は善だと思え」ということを何かで読み(何だったかは忘れました(苦笑))、それ以降、心の拠り所になっています。
多様性は善。
これを心から信じれば他人を尊重することも自分を尊重することも楽になります。
無条件に何かを信じるということが苦手な理屈っぽい私ですが、多様に進化してきた生命の歴史と照らし合わせると、「多様性は善」ということはあっさりと受け入れることができました。
この絵本は優しい色と詩的な言葉でそのことを教えてくれます。
読み聞かせた時、子供たちは「いろを集める」などの抽象的な表現にポカンとしながら聞いていました。
けれど、はっきりと分からなくても心のどこかで響いてくる絵本だと思います。
ちなみに、にーさんは「想像ではお腹は満たされないよね」と不満げでした。リアリストです。それも1つの考え方ですね。
何を感じとるかも人それぞれ。
内容以前に、私はこのねずみの絵がとても好きです。
大人にもおすすめの絵本です。