3つのたねに絵本の水を

日々思ったこと、子育てエピソードと共に、3人の子供たち(にーさん(中1)ひめ(小3)ちび(年中))に読み聞かせた絵本を1冊ずつ紹介しています。

そんなに泣いてるのに、笑っちゃってごめん「おいしいぼうし」

こんにちは。

「オイ人間!!もう終わりか?」とYO-KINGさんが頭の中で歌っているくるみです。

 

コロナ、天災、戦争、環境問題、不景気、差別、いじめ…

いろいろと大変な世の中で心がふさぎ込んでしまうとき、救ってくれるのはユーモアだと思います。

多少、不謹慎と感じられても笑い飛ばす明るさが、時には救いになります。

取るに足らない笑いが、心を軽くしてくれます。

 

2人の娘たちはケンカもしながら、コロコロケラケラ、楽しそうに遊んでいます。

どうしてそんなことでそんなに笑えるのか、と疑問に思いつつ、笑い転げる姿を見ていると、悲しみや怒りや煩わしいことに目を向けていることがもったいないことのように感じます。

 

課題を見つけ取り組むことも大事ですが、難しいことは考えず、楽しいことに目を向けることも大事。

そんな今日は、思わず笑ってしまう楽しい絵本です。

 

そんなに泣いてるのに、笑っちゃってごめん

おばあさんとおじいさんが見つけたのはツヤツヤしてペトペトした半透明の丸い大きなひらべったいこげ茶の奇妙なもの。そのとてもいい匂いに惹かれて、ついつい食べてしまった2人の家に、探しものを訪ねにお客さんが来てさあ大変!食べてしまったとは言えない2人は…?同情しつつもついつい笑ってしまう、楽しい絵本です。

 

大きな奇妙な落とし物を拾って、何だろうな、と思いつつ食べてしまうおじいさんとおばあさん。

その好奇心や食欲、勇気にまずは驚きます。

 

さて、そんな2人のもとに、大事な帽子をなくしたというお客さんが訪ねてくるので大変です。

まずいことになりました。

うん、本当に。だって、食べちゃったんだもんね…食べちゃってもうほとんどないもんね…でもそんなこと…

ぜったいぜったいいえません。

だって、お客さんは大きな体をプルプルと震わせて泣いているのです。

泣きながらとうとうと、しゃべること、しゃべること。

ケンカで泣かされた子どもが、ヒクヒクしながら「だってね、私が先に使ってたのにね、お兄ちゃんがね…」などと話す姿に似ています。

可哀そうなんだけど、一歩引いたところから見ているこっちにとっては、その必死さが可愛くて笑っちゃう、という感じ。

おじいさんとおばあさんの焦る様子と、嘘をつき通す人間っぽさも相まって、もう可愛いやら可笑しいやら。

 

ここのところ、ひめとちびはシゲタサヤカさんの絵本が大好きで、いくつか読んでいますが、例外なく面白いです。

ちびは、白目に描く画風が気になるようで、何かで白目を見ると、「サヤカさんだ」と言います。

 

お客さんの帰る姿と罪滅ぼしのバナナにもクスリ。

ぜひぜひ読んで楽しんで下さい。

 

kurumipicbook.hatenadiary.jp

お返事ってそんなに嬉しいもの?「おへんじください」

お久しぶりです。こんにちは。

三学期、コロナで習い事がお休みになっていた小学生のひめは、放課後にお友達とよく遊んでいました。

ほとんど公園なのですが、たまに、家の前(庭と呼べるほどの場所ではない)に友達を呼んで遊んでいました。

 

先日も、お友達を呼んできたのですが、そのお友達が素敵な焼菓子をお土産に持ってきてくれました。

お家に遊びに行くと聞いて、お友達のお母さんが持たせてくれたようなのです。

ほとんどお構いもせず、寒空の下、家の前で遊ばせているだけなのに!コロナのこともあり、家の中に入れるのもどうなのかな、と思い、これは困った、と悩んだ挙句、ちょうど家にあったお菓子をお返しすることに。

それにお手紙を添えて渡しました。

 

でも、今の時代、お手紙なんて重たく感じないだろうか…

負担に感じる方もいるし、ただ書きたいから渡す時代ではなくなっているように思います。

電話も然り。

相手の存在を直接感じるような、生々しい手段は、どんどん負担感が増しているような気がするのです。

仲の良い間柄ならともかく、あまり知らないママ友からなんて…

 

葛藤の末、お友達の性格や保護者会で少し話したことのあるそのお母さんの印象から、勝手に判断し、お手紙を渡すことにしました。

頂いたお菓子に何もメッセージなしにお菓子を返すなんて、なんだか失礼な気もして。

 

そうしたら、

なんと次の日、

お返事が返ってきたのです!

その嬉しかったことと言ったら!

 

大げさではなく、好きな人から初めてメールをもらったくらい(?そんなのも、もう忘れちゃったけど)嬉しかったです。

 

もしこれがメールやラインだったら、返信は当たり前すぎて、むしろ返信なかったら落ち込むくらいなのに。

なぜなんだろう、こんなに嬉しいのは。

手書きだから?書くのに労力が必要だから?

どうしてなんでしょう。

 

そんなことがあった私は、この絵本のねこたちの気持ちが痛いほどわかりました。

お返事って、ほんと、嬉しい物だよね!!

お返事ってそんなに嬉しいもの?

引っ越したシャムちゃんにお手紙をかき、お返事を待っているくろくんを見て、とらくんは興味を抱きます。お返事ってそんなに嬉しいものなの?2匹のねこのやり取りが温かく、ユーモラス、お手紙を出したくなる絵本です。

おてがみ、だしたこと、ある?

おへんじ、もらったこと、ある?

おれは、だしたことも もらったこともない。

でも、くろを見ていると、

おへんじって、どうやら

とってもいいものみたいなんだ。

 

と、お手紙を書いたことのない、とらくん目線で進む絵本です。

シャムちゃんにお手紙を書いたくろくんを見て、手紙を書いたことのないとらくんは興味津々。

お返事をそわそわ待つくろくんを見て、とらくんは訝し気にしていますが、気付けばくろくんよりも、心待ちにしているとらくんが…

 

2匹のやり取りが、とっても可愛くて可愛くて。

 

デジタルにはないお手紙の良さって何でしょう?

待つ時間?手書き?肌ざわり?

お手紙、たまにはいいものです。

 

ひめは4年生になって、そのお友達を交換日記を始めました。

交換日記も、ザ・アナログですね。

 

ねこ好きの方も、そうでもない方にもとても可愛いおすすめの絵本です。

 

役に立つものと立たないもの「えのすきなねこさん」

こんにちは。

今年こそはブログの更新を頑張りたい、と懲りもせず抱負の1つに掲げているくるみです。

にも関わらず、1月も既に終わろうとしている…

細く長く、マイペースなブログですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

さて。

物事を見るのにいろいろな観点がありますが、役に立つ、立たないというのも1つの大きな視点ですね。

 

人の役にたつように。

社会のためになるように。

生活のために。

未来のために。

子供のために。

 

私たちはそれが正義のように教えられているように思います。

何かの、誰かの役に立つのはとても分かりやすく、充足感を得やすいものです。

自己肯定感も上がります。

 

対して、役に立たないもの。

 

遊びや趣味?

活かす予定のない能力?

もう使うこともない、がらくたたち?

 

こうして、例を挙げようと試みても、その難しさに気付きます。

役に立つ立たないの境目って決められるものでしょうか?

 

今は使わなくても、いつか役に立つかもしれないもの。(その逆も。)

自分にとっては無価値でも、誰かにとっては大切なもの。(その逆も。)

実際に何かに使われたりはしないけど、心を満たしてくれるもの。

 

これらは役に立つと呼べるのか、呼べないのか?

 

今日の絵本は、役に立つ立たないという物の見方について、考えるきっかけとなる一冊です。

 

役に立つかわからないのに、やりたいこと

絵を描くのが好きなねこさんがいました。そんなねこさんのところへ、仕立て屋のうさぎ、魚釣り名人のきつね、大工のさるがやってきて、絵を描いてばかりいるねこさんに「絵なんて、いったい何の役に立つというの?」と言う動物たち。けれどもある雨の日、3匹はネコさんの家に訪れて…。たくさんの気付きを与えてくれる絵本です。

 

服は無いと生活できない。食べ物も、家具も。

生活に必要な、大切なものを作ったり直したりするウサギやキツネやサル。

そんな彼らは役に立たないものに対して厳しい眼差しを向けます。

役に立たないものとは、この絵本では‟ねこさんの絵”です。

 

けれども、ねこさんは絵を描くこと好きで、描き続けます。

 

レオレオニさんの「フレデリック」にも通じるようなお話です。

目的に直結していない、一見何のためかわからないこと、無駄に思えることをどう捉えるか。

 

いま、改めて考えてみると、役に立たない例を書き並べようとしたとき、思い付いたそのほとんどは物質的に何かを変えるものではなく、心を動かすもののような気がします。

 

私にとってのそれは、読書や手芸、なんとなく勉強している英会話、子どもと一緒に作ったがらくたのような工作。

 

ウサギたちは絵を描き続けるねこさんに問いかけます。

何の役に立つの?と。

役に立つことでなければ、やってはいけないことのように。

 

ネタバレになってしまいますが…

 

 

 

 

 

 

この絵本では、ねこさんの絵でみんなの心が満たされ、ハッピーエンドを迎えます。

ねこさんの絵は、心を満たすという役に立つのだ、とみんなが納得するわけです。

 

でも…へ理屈屋の私は思います。

今回はみんなが絵を楽しんでくれたけれど、もしねこさんの絵が誰の心も満たさなかったとしたら…?

ねこさんは絵を描くのをやめるべきなのでしょうか?

 

ねこさんは言います。

ぼくは えをかくのが すきで じょうずで

ほんとに よかった

と。

これは他人の役に立った喜びなのでしょうか…

そして、ねこさんの嬉しそうな姿を見て、私は気付きました。

 

人の役に立たないかもしれないと思っていても、どうしてもやりたいこと。

それこそが最も自分の心を満たすものなのかもしれない、と。

 

なぜなら、誰の役に立たなくてもやり続けたいと思うくらいなのだから。

 

社会の中で生きる人間にとって、他者の役に立つ、というのはとても大切なことです。

役立つ仕事をしてくれているたくさんの人の恩恵を受けて、私の生活は成り立っているのです。

 

けれど。

自分の心を満たすことについても、もう少し寛容になってもいいんじゃない?とねこさんが呼びかけてくれます。

 

役に立つ立たないばかりで物事を測るのでなく、あわよくば誰かの役に立てたらいいなくらいの距離感で、自分の心を満たすことにもっと目を向けてもいいのかもしれません。

 

それにしても、ねこさんの個性的な絵たちに、ちびもひめもくぎ付けでした。

ねこさん(というか、にしまきかやこさんなんですけど…)の才能に見惚れて、自分の心を満たすことは結果的に誰かの心を満たすのではないか、という希望的な感想も抱きます。

 

とてもおすすめの絵本です。

 

 

 

 

まばたきの合間に…「まばたき」

お久しぶりです。こんにちは。

お月見中、月よりも、近くの明るい星が気になってしまい、すぐにググってしまったくるみです。

たぶん木星です。月の明るさも、その星の明るさも太陽の明るさなのかぁ。

最近宇宙に思いを馳せるのが好きです。

 

と、9月に下書きして、さらに時は過ぎ、もうすぐ11月です。

 

夏はいつの間にか去っていました。

たくさんのことがあり、たくさんのことがなく、

あっという間に過ぎたような、恐ろしく長かったような夏休み。

 

夏休み後も続いた在宅勤務とオンライン授業と自由登園。

 

変わらない日常に感謝する気持ちと、変わらない作業に飽き飽きする気持ちと、変わらないと思っていても、私の身長を超したにーさんに驚く気持ちと。

 

いろいろな気持ちがないまぜになって、絡まり合って、整理しよう、ブログも更新しよう、と手繰り寄せているうちに気が付いたら秋になっていました。

そして冬の気配さえも…

 

そんな風にあたふたして、その場を凌ぐように時間を使っているうちに、気が付いたらおばあさんになっているかもしれないんだな、とふいに思います。

ゾクッとします。

 

いつかあれをやろう、いつかこれもやろう、と来るつもりの「いつか」を夢見て。

その「いつか」が来るときには、もうやりたい気持ちも体力もなくなっているかもしれない。

 

41の夏。

確かに人生を折り返した気がする私には、この絵本がグサリと刺さりました。

 

まばたきの合間に…

瞬きをしている時間。その短い時間に起きること。蝶が飛び立ち、時計がカチリと動く。猫が一瞬で飛びかかる。一瞬だと感じているその時間は本当に一瞬なのか…。時間の不確かさを差し出して見せてくれる1冊です。

 

まばたき。

この言葉が連想するもの。それは、視界が途切れたことを意識できないほどのほんの一瞬。気にも留めないほどの時間です。

人間は1日に、多くて2万回ほどのまばたきをするらしいです。すごいですね。

 

文は穂村弘さんです。

ですが、その言葉は短く、ほとんど語ってはいません。

しーん

とか

ちゃぽん

とか。

構想を含めたアイデアが穂村さんなのかなぁ。

それとも酒井駒子さんの解釈?

文字だけで想像できない世界を具現化してくれています。

 

地球の歴史から考えると、まばたきにも値しないかもしれない私1人の人生。

その中で私自身は何億回ものまばたきをする。時間の概念の心もとなさを深く感じます。

 

この絵本で描かれているのは一体誰のまばたきなのか…

 

私は穂村弘さんの言語感覚、酒井駒子さんの絵が大好きなので、夢のような絵本でした。

けれど、子どもたちにはまだ読んでいません。

(たぶんちびが最後の部分で泣く、もしくは読む部分が短くて文句を言うので)

 

個人的には非常に印象に残る絵本でした。後をひく読後感です。

そして、いつかではなく今、何かをしなければ、という焦燥感を感じました。

それにより、とりあえず久しぶりのブログを書き終えることができました。

めでたしめでたし(笑)

 

大人におすすめの絵本です。

 

 

 

毎日に疲れたら読めばいい「あつかったらぬげばいい」

こんにちは。

今の家に引っ越して11年。今年やっと雨の日の洗濯物どうするか問題に向き合って、室内物干し台、除湿器とサーキュレーターを買いました。快適すぎてなんでもっと早く買わなかったんだろう、と思ったくるみです。

 

さて。

毎日暮らしている中で、考えることが多くて、私の頭の中はいつもぐちゃぐちゃです。

みなさんはどうですか?

 

自分のことだけだってたくさんあるのに、それ以外にも、家族のこと、社会のこと、地球のこと…

社会や地球なんて言ったら大げさに聞こえますが、社会の中で暮らしてる以上、教育のことやごみの分別など、身近なことの中に混在しているものです。

 

 

1つの物事を考えるとき。

物事にはたくさんの側面があって、自分の直感、主観だけでは判断できない。

もっとじっくり考えなきゃ!

 

そんな考え方が私には身についてしまっています。

どんなに単純なことだとしても。

 

例えば、お腹がすいたら?

何か食べればいい!

はずですが…

 

 

最近太ってきたからお菓子はだめだ。

どうせなら栄養価の高いものを。

豆腐なんてどうだろう。

夕食で使おうと思ってたんだ、やめておこう。

じゃあ、ナッツでも食べようか。

そんな気分でもないなぁ。

チョコもポリフェノールが体にいいっていうし、少しなら…

でもやっぱりご飯まで我慢するか。

水を飲んでごまかそう。

 

なんて具合に。

1つの思いつきに対して、たくさんの情報が怒涛のように押し寄せてきてしまうのです。

 

優柔不断の私は、日々の中でこんな感じの思考が多すぎて、それが積もり積もって割とストレスとなっているような気がします。

 

物事をもっとシンプルに考えられたら。

そんな私にぴったりの絵本です。

 

毎日に疲れたら読めばいい

あつかったら…ぬげばいい。ヘトヘトに疲れたら…歯も磨かずにそのまま寝ればいい。太っちゃったら…仲間を見つければいい。「○○だったら…○○すればいい」と続きます。当たり前の対処法にうなずいたり、意外な対処法にハッとしたり。生き辛いと感じたとき、大人にも響く絵本です。

 

 

暑かったら脱げばいい。

うんうん、わかってる。そんなの当たり前。

 

では…

大事な人がいなくなったら?

人の不幸を願っちゃったら?

話し相手が欲しかったら?

 

「あつかったらぬげばいい。」という当たり前のことから始まることで、少し深い内容まで全てをすんなりと受け入れられます。

ヨシタケさんワールド全開の、他人を傷つけずに自分も楽になる、肩の力が抜ける対処法に、クスリと笑ったり、本当にそうしてみようと思ったり。

どんなに苦しくても、何か対処法はあるものだよ、と励まされている気がします。

シンプルに、ユーモアを持って、あまり深く考えずに、柔らかに考えてみればいいんじゃない?と問いかけられている気がします。

 

5歳のちびと9歳のひめには少しピンと来なかったようで、ヨシタケさんの絵本が大好きなひめも少し退屈そうでした。

とはいえ、期待が大きいから少しガッカリしただけで、十分楽しんではいました。

 

この絵本はきっと、もう少し人生の苦味を知って、疲れたとき、思い出してじわじわ沁みてくると思うな。

 

もう読み聞かせは卒業してしまったにーさんに差し出したら、すぐに一気読みして、

ヨシタケシンスケ、はずさないな。すげー」

とのこと。

 

そして、

「お母さんにはこのページを」と、

「難しく考えすぎてる気がしたら…」のページを開いてくれました。

うう…やはり私は難しく考えすぎてるのかぁ。

よし、じゃあとりあえずお風呂に入るか!(なぜかは読めばわかります笑)

 

大人の琴線に触れること間違いなしの絵本です。

つい、からかいたくなっちゃう大人たち「いま、なんさい?」

こんにちは。

今シーズン、既にかき氷を5回も作っているくるみです。

真夏のような日が続いて落ち着き、今日関東も梅雨入りしたらしいです。 

 

さて。

子どもの勘違いや言い間違いがとても可愛くて大好きです。

 

けれど、ちびは笑われるのが大嫌い。

可愛くて笑おうものなら、「わ・ら・わ・な・い・で(怒)!!」とすぐに怒ります。

「バカにしてるんじゃないよ。可愛いからだよ」と言っても全く許してくれません。

 

そういえば、子ども達の通う幼稚園の発表会では開演前に、

「発表中、可愛くて笑ってしまう場面でもできるだけ笑わないで見てあげて下さい。子どもが、笑われた、と思って劇を続けられなくなることがあります。」

という注意があります。

確かに、ちびは運動会のお遊戯で掛け声の大きさを笑われて、踊りをやめたことがありました。

この注意はちびのような子を思ってのことだったんだな。

 

 

小さなことに本気で怒る姿が可愛くて、大人がわざとからかうこともよくありますよね。

にーさんが小さい頃、からかわれるのが嫌いで本気で怒ってしまったので(しかもご機嫌斜めになると直るまでがひたすら長い)、母などがからかい始めるとハラハラしたものです。

ひめは、からかわれても一緒に笑えるタイプで、その話を面白い話として人に話したりもします。

ちびは気分次第ですが、やりすぎたり、笑いながらからかうと怒り出します。

 

こんなことにも個性が出るものです。

 

 

今日の絵本のゆきちゃんも、5歳の誕生日に大人にからかわれてしまいます。

 

ついつい、からかいたくなっちゃう

今日はゆきちゃんの5さいのお誕生日。幼稚園で先生に「わたしはいま何歳でしょうか?」聞いてみることにしたゆきちゃんですが…。つぎつぎに変身するゆきちゃんも可愛く楽しい絵本です。

 

 

我が家のひめとちびも今月揃ってお誕生日を迎えます。

お誕生日は、みんなに「おめでとう!」と言ってもらえるとても嬉しい特別な日です。

私は大人になっても1日中なんだかそわそわしてしまいます。

 

ゆきちゃんも5歳になることが嬉しくて嬉しくて。

この喜びが、「私はいま何歳??」という質問に表れる、というのが子どもならではです。

4歳から5歳に!もう4歳ではないの!という気持ち。

お姉さんになった気分がするのでしょう。

 

大人になると、そこには触れないで欲しい…と思うのに(笑)

 

そんな嬉しそうなゆきちゃんを前に、先生たちはダジャレでからかいます。

たぶんニコニコゆきちゃんが可愛すぎて、ついついからかいたくなっちゃうんですよね。

「はくさい!」「ぼんさい!」「サイ!」

 

白菜と言われたら、ゆきちゃんは表紙のような白菜ゆきちゃんに変身。

髪の毛がちゃんとついてるのも可愛いです。

 

みんなにからかわれたゆきちゃん、いったいどうするでしょう?

 

にーさんみたいにプリプリ黙るかな?

ひめみたいに笑って調子に乗るかな?

ちびみたいに怒るかな?

 

ぜひ読んでみて下さい。

 

笑って許せるひめも「9歳=臭い」は言われたくないようで、にーさんに言われて本気で怒っていました。

じゃあ、「救済」ってことにする?

 

それにしても、「さい」が付く言葉って、たくさんありますね。

読み聞かせのあとも、「さい」の付く言葉探しで盛り上がりました。

 

お誕生日にもぜひ。ぜひ読んでください

 

 

2人の違いが楽しい「あたまのうえにとりがいますよ」

こんにちは。

今年の母の日に、ちびからもらったお手紙には「ははのひへ。きょうはすきなものつくっていいよ」と書いてありました。

母の日さんと何を作るか相談しようか、と想像してしまったくるみです。

 

さて。

にーさんとひめはそりが合わず、ケンカばかりしています。

きちきち真面目なにーさんは、ゆるゆる自由なひめの態度が気にいらないのです。

 

ついつい小言を言ってしまうにーさんの姿はまるで仲の悪い嫁姑の姑のよう。

「宿題終わってないのに遊ぶな」

「口を閉じて食べろ」

「はやくローンを払え」(あつ森です…ゲームの進め方までもに小言を言っています)

 

その細かさが、なんかイヤ…

 

たしかに、ひめは宿題し始めるのが遅い。

そして、やっている途中でも気が散り、終えるのも遅い。

注意されてもすぐ忘れ、数分後にはまた同じ注意を受ける。

親の私もイライラはするんだけど…。

 

けど、そういうことは、お母さんが言うから!

というか、あなたも宿題以外は人のこと言えないから!

 

たぶん、にーさんの目には、私が注意していても幸せそうにのほほんとしているひめが、心から理解できない異質な対象として映っているのでしょう。

 

同じ親から生まれてどうしてこんなに性格が違うのかしら…

 

 

けれど、親としては、性格が違うからこそ、お互いの足りない部分を埋め合って上手く生きていけることを夢見ています。

 

なぜって、絵本にはそんな対照的な2人が登場するお話も多いもの。

お互いのない部分を補い合って楽しくやっている様子に救いを感じます。

今日の絵本にもそんな対照的な2人が出てきます。

 

2人の違いが楽しい

しっかり者で真面目なゾウのジェラルドと、うっかりやさんでやんちゃなブタのピギー。ある日ジェラルドの頭に鳥がやってきます。1羽だった鳥が2羽になり…。鬱陶しがるジェラルドの隣で、愉快に実況してくれるピギー。2人の表情の変化も楽しい絵本です。

 

漫画のように発言が吹き出しで描かれていて、セリフだけで展開していきます。

ページ数はわりと多いですがどんどん読めます。

絵はイラスト調で、背景などもなく、会話も短いのですが、2人の動作や表情がおおげさに面白く描かれているので、どのページも楽しめます。

 

そして、ラストは絶対先に見ちゃダメです!

ラストの展開は子どもたちが楽しめること間違いなしです。

 

終始しかめ面で難しい顔をしているジェラルドと、楽しそうなピギー。

その様子が、にーさんとひめを見ているようでした。

 

いろいろな人がいて、いろいろな考え方があって、正しいか正しくないかだけで世界は回っていなくて。

分かり合えたり、分かり合えなかったり。

 

そんな中でも一緒に笑える時間もたまにはあります。

衝突ばかりを気にしていると、気分が沈んでしまう。

けれど、たまにある笑顔の時間が光となって、日常を照らしてくれているような気がします。

家の中で子どもたちの作る小さな社会を眺めてそんなことを思います。

 

そんなことはさておき、とても楽しい絵本です。