3つのたねに絵本の水を

日々思ったこと、子育てエピソードと共に、3人の子供たち(にーさん(中1)ひめ(小3)ちび(年中))に読み聞かせた絵本を1冊ずつ紹介しています。

"面倒くさい"ばかり言っていると…「ものぐさトミー」

こんにちは。

一昨日。ベルギー戦の悔しい気持ちを拭い切れないまま寝不足のぼんやりとした頭で、ニュースを見ていたら、ダイジェストでは今度こそ日本がもう1点入れるんじゃないか、とバカみたいに釘付けになって、再度悔しい思いをしたくるみです。

 

さて、みなさんは普段「面倒くさい」と思うことがありますか?多いですか?

 

私は、多いように思います。

本当に面倒な換気扇の掃除や提出書類の記入はともかく、毎日の家事や、入浴や着替えまで…

 

そんな私ですが、面倒くさいというのは非常に望ましくない感覚だと思っています。

 

食べること、顔を洗うこと、髪をとかすこと、爪を切ること、メイクすること、ゴミを捨てること、お皿を洗うこと、掃除をすること…

 

たくさんの細胞が生まれ、死んでいくことを繰り返すように、そもそも人が生きることは同じことを繰り返すことと言えそうです。

 

それを面倒くさいというのは、生きることそのものが面倒くさくなっているのではないか。

生きているのが当たり前になり、感謝が足りないからではないか。

 

そう思うからです。

 

けれど、面倒くさいという感情のおかげでたくさんの便利が生まれてきたのも確かです。

洗濯板で1枚1枚じゃぶじゃぶ洗うのはとても面倒だと感じた誰かが洗濯機を発明してくれたように。

 

現代の私達はその恩恵を受け、面倒な仕事から解放された分の余剰の時間ができました。

その時間で、生きることに直接は関わらないような何かに一生懸命になったり、考えたり、楽しんだりできるようになり、とても豊かに暮らすことができています。

 

けれどまた、その贅沢な環境のせいで、日常の生きることに関わることを面倒に感じるようになっている…

 

そのことが、私に違和感や徒労感、虚しさを感じさせ、時々不安定になります。

 

本当はもっと日常の中で生きることを大切にしたいと思いつつ、たくさんの誘惑や理想に追われ、バランスをとるのが難しいのです。

 

もっと自分が落ち着ける、丁寧でシンプルな暮らし方を探そうと思う今日この頃です。

 

「 面倒くさい」から派生してそんなことを考えた絵本はこちら。 

 

たべすぎトミー

主人公はその名もトミー・ナマケンボ。電気仕掛けの家に住み、朝の仕度、入浴や歯磨き、朝食まで全てを機械になされるがまま。自分では何もしません。ところがある日、停電が起き、トミーの1日は大変なことに…

 

少し古い言葉遣いと文字が多い雰囲気の絵本だったので、物語に入り込むまで、ひめの集中力が心配でした。

けれど、説明したりしつつ、何とか我慢して途中まで読み進むと後半はただただ大笑いしながら読めました。

にーさんも面白かったようで声をあげて笑っていました。

 

それにしてもトミー、1日1食だとしても食べ過ぎです。停電前の普通の日の時点でもはや罰ゲームレベルの食べさせられ方だと思ってしまいました。

 

お風呂や歯磨きが自動なのは少し羨ましいけど、どんなに時代が変わっても、食べるのは自分のタイミングで食べたいなぁ。

 

小学生にもおすすめの絵本です。

ものぐさトミー (岩波の子どもの本)

ものぐさトミー (岩波の子どもの本)