3つのたねに絵本の水を

日々思ったこと、子育てエピソードと共に、3人の子供たち(にーさん(中1)ひめ(小3)ちび(年中))に読み聞かせた絵本を1冊ずつ紹介しています。

白菜の花、見たことありますか?「ちいさなはくさい」

こんにちは。

気温差に翻弄されるくるみです。

 

昨日はとても暖かかったですが、今週末は冷え込むそうで、いよいよ、冷え性の私には厳しい季節の到来です。

年々温かいものが心から美味しく感じられます。

中でもここ数年、愛するのはお鍋料理です。

なんたって温かい。そして、簡単。野菜いっぱい。献立に迷わないですむ。

水炊き、キムチ鍋、坦々鍋、いろんな味を選べば飽きることもありません。

 

そんな私も子どもの頃は、お鍋が好きではありませんでした。

くたくたの野菜を柑橘系の匂いがする醤油(ポン酢)で頂く、なんだか地味な魅力のない食べ物。

ただ、最後の美味しい雑炊のためだけに頑張って食べる、という食べ物でした。

 

我が家の子供たちはお鍋が大好きです。

というのも、〆の中華麺を最初から投入し、もはやラーメンだから。

ラーメンの勢いで嫌いな野菜も少しは食べてくれます。

 

お鍋と言えば、白菜。この時期美味しくなりますよね。

年を追うごとに好きになっている野菜の1つです。

乾燥してカサカサの体に、茎のみずみずしさが沁み渡る気がします。

 

ところで、白菜のお花、見たことありますか?

私は…ありません。

ちょっと待って、キャベツ、ホウレンソウ、小松菜…

葉物野菜の花を私は見たことがないかもしれません。

 

そんな驚きの事実に気付かされた絵本を紹介します。

 

食べられる部分しか知らない…

丘の上にぽつんと立っている柿の木とそばにある畑。今年の畑には白菜が植えられました。だんだん大きくなる白菜の中、少し外れた所に小さな白菜が1つ。柿の木が見守る下で、収穫されず残された小さな白菜は…。季節の移ろいとともに野菜が育っていく様を観察できる絵本です。

 

周りの白菜より少し小さい白菜は、小さいが故に収穫されずに冬を越し、春を迎えます。

そばの柿の木が白菜の知らないことを優しく教えてあげる様子が温かいです。

また、収穫されることが白菜の悲劇として描かれているわけでもなく、農家の男性の優しい姿が印象的で、日本のどこかでこんな場面が本当にあるといいなと思わせてくれる物語です。

 

日頃、スーパーでたくさんの野菜を見ると、これだけたくさんの野菜が誰かの手で土から育てられたことに圧倒させられます。

まだみずみずしく、色鮮やかな野菜たち。

 

自分の手を汚すことなく、たくさんの野菜を食べることができて、本当にありがたいです。

 

その気持ちを胸に、感謝して大切に食べなくては!

例えば大根の葉をたべたり皮をきんぴらにしたり、ブロッコリの芯やキャベツの外葉まで使って料理をしたり。

今までは、そんな風に全てを無駄にせずに食べることが野菜の命を全うさせてあげることだと思っていました。

 

でも、植物としての野菜の命は本当はその先もあるのですよね。

 

白菜は収穫しなければ春に花を咲かせる。

多分他の野菜も。 

 

人は植物の食べやすい部分、好む部分を時期を見て収穫しているだけで、根や葉っぱ、花、茎、実をそれぞれが持っているんだよなぁ。

と欠けていた視点に気付かされました。

 

ひめも「白菜って花が咲くんだね」と言い、同じくらいの温度で、「ほんとだねぇ」と返したのでした。

 

切り身が泳いでると思っている子がいる、という話を、全然笑えないなぁと思った私です。

 

今日もそんな白菜をスープにたっぷり入れました。

白菜さん、花咲かせることできなくてごめんね。

感謝して、美味しくいただきます!

ちいさなはくさい (にじいろえほん)

ちいさなはくさい (にじいろえほん)

 

 

心を元気にするには?「心ってどこにあるのでしょう?」

こんにちは。

早朝に布団から出るのが辛くなってきたくるみです。寒くなりましたね。

 

言おうと思った言葉を思い出せないとき、「この辺まで出てきてるのに」と喉あたりを指すこと、ありませんか?

頭の中で考えているのだから、声とは関係ないはずなのに。

 

ひめと話しているとその辺の感覚について面白いな、と思うことがよくあります。

ひめは頭の中に袋のようにいろいろが入っているイメージらしく、

「ちょっと待って。今ここ(頭)に探しにいくから。」(何かを思い出すとき)

「楽しい思い出がここ(頭)にきて、眠いのがぴゅってどっかに行っちゃった」(過去の話で盛り上がって眠気が飛んだとき)

などと頭を指さして言います。

 

手が冷たいものを触った時、冷たいのは手。冷たいと思うのは頭。「冷たい」というのは口。

そして、冷たいのは嫌だなぁとか、冷たくて気持ちいいと思うのは…こころ?

 

心って何?どこにあるのでしょう?

 

心はどこにあるのでしょう?

心ってどこにあると思う?胸かな…?好きな人の前だったり恥ずかしくなったりすると赤くなるのはどこ?嫌なことがあると痛くなるのは?いったい心ってどこにあるんだろう?可愛い動物たちも登場して親しみやすく、優しい言葉で身近な不思議を考えられる絵本です。

 

心を思うとき、心臓あたりを思い浮かべる人が多いと思います。

心臓の「しん」は心だし。

ドキドキしたり、バクバクしたり、体の真ん中にある大事な特別な場所という感じ。

 

でも、改めて考えてみると不思議です。

嬉しくて変化があるのは鼓動だけじゃありません。

ほっぺが赤くなったり、顔はにこにこ、頭の中はスッキリ。

悲しかったり辛いと、お腹が痛くなったり、涙が出たり。

 

動物たちだって,しっぽを振ったり、鼻をぴくぴく動かしたり、耳を垂らしたり。

 

たしかになぁ。心って胸にあるわけじゃないのかも。

この絵本を読んでいるとそんな気になってきます。

 

ひめは、読んでいる間中「何言ってるの、心はここにあるんだよね〜」と言って胸に手を当てていました。

頑なに信じて疑っていない様子でした。

どうしてだろう…

 

私は、というと、前述の通り、なんだか心のイメージが揺らいできたのでした。

心臓が体中張り巡らされている血管で身体と繋がっているように、心も胸にあって、身体とコードで繋がっているイメージだったのです。

胸に主電源があって、切れたら全部が暗くなるという感じ。

 

でも、心は身体中いろいろなところに単独に複数存在しているのかもしれません。

主電源などなく、カチっと付ければ1ヶ所だけ付けることができるランタンのような明かり。

 

そう思って、ふいに腑に落ちたことがありました。

 

今までずっと、落ち込んでいる人を元気付けようとするとき、もしくは自分がひどく落ち込んだとき、心の深いところに届くことをしなければと思っていました。主電源をつけなければ、と。

 

心に届くこと、とは、癒される音楽だったり、温かい言葉だったり、見守る姿勢だったり、きっと目に見えない、形のない何か。

誠心誠意尽くせば主電源に手が届くはず。

 

そして、度々失敗しては自分の無力さに落ち込んでいました。

 

心に届くなんて難し過ぎるのです。

真っ暗な家の中に入って、いくつもの部屋を通って主電源を付けに行くのなんて、困難です。

 

そうではなくて、とにかく、どこかの部屋を明るくすることがいい方法なのかもしれません。

 

無理やりにでも笑うと楽しくなる、という理論に、そんなのその場凌ぎじゃないかと懐疑的だったのですが、心がいろいろなところにあるというイメージを持つとすんなり納得、腑に落ちたのです。

 

根本の改善がなされてなくても、1ヶ所明かりが付くだけで元気になることってあるかもしれない。

むしろ、それはとても実践的で、最善の方法ではないでしょうか。

 

入り口から1番近い部屋に入ってカチっと、スイッチを入れるだけ。

その部屋は確実に明るくなるし、部屋の明かりが洩れて、隣の部屋も、奥の部屋も明るくなるかもしれない。

 

楽しくて笑うように、笑えば楽しくなる。

嬉しくって抱き合うように、抱き合えば嬉しくなる。

ご機嫌で鼻歌を歌うように、鼻歌を歌えばご機嫌になる。

安堵のため息のように、深く息をすれば安心する。

 

そういえば、にーさんが不安定なとき、1日1回抱きしめることで落ち着いたことがありました。

 

絵本から少し離れた話になり恐縮ですが、個人的にはっとした発見だったので記録しておきます。

 

みなさんもぜひ。心について何か新しい発見ができるかも!?

心ってどこにあるのでしょう?
 

 

こりんもきのみくんも可愛い「ありんここりん」

こんにちは。

週末に今シーズン初めてのお鍋をしました。

これからの週末はお鍋。献立に困る必要のない季節の到来に歓喜するくるみです。

 

 1年生の生活で昆虫について調べる授業があり、ひめはチョウの班になり、チョウについて調べました。

そこから、苦手だった虫が少し好きになったひめは、休日になって「虫採りに行こうよ」と言い始めました。

虫が苦手な私は飼うのは絶対にいやっ、と思い、「採って飼うの?」と聞くと、「オオカマキリにあげるの」と…

クラスでオオカマキリを飼っていて、生きている虫…バッタなどを捕まえてえさとしてあげるらしいのです。

 

バッタが食べられるのを観察するのね…

バッタ、調べていた子もいたよね…

 

1年生にして学ぶ自然界の厳しさ。

弱肉強食の食物連鎖

 

ひめも全くバッタに感情移入していないようで、少し衝撃を受けました。

(バッタ可愛い、って言ってなかったっけ?)

 

さて、今日は身近な虫である、ありの可愛いお話です。

 

どんぐりの帽子を見つけにありの巣へ

ビスケットを見つけてウキウキのありんここりんが出会ったのは、しょんぼりしているきのみくん。穴に落ちた帽子を一緒に探してあげることにしたこりんでしたが…。小さい子にもわかりやすい可愛いお話です。

 

帽子をかぶったシルエットの真っ黒なあり。

表紙にもいるこの主人公のこりんが、シンプルな絵なのになんとも可愛いのです。

そして、あとから登場する棒手足のきのみくんもとても可愛い。

困り顔も「ぼくのあたまはつるんつるん。はずかしいよ。」というセリフも可愛い。

(語彙力足りず、「可愛い」と連呼していますが…(汗))

 

そんな2人が迷路のようなありの巣の中を帽子を探しに行くお話です。

ありの巣の中を覗けた気分になり、帽子はどこにあるのかな、と夢中になれるストーリーも楽しく、子供たちは夢中でした。

 

最後に、「さあ、またおやつさがしだ。」と顔を出すこりんがまた可愛いな(しつこい…笑)と思っていたら、その右ページにもひょっこり顔を出していて、もう可愛過ぎます(結局可愛いとしか表現できず…)。

 

ひめは「『またおやつさがしだ』って、最初のページに戻ればいいね!そしたらずっとずっと続くよ!」と嬉しそうでした。

 

どんぐり好きのちびも楽しめ、虫嫌いの私もありが可愛く見えちゃう絵本でした。

ありんここりん

ありんここりん

 

 

独特の世界観を持つ絵本「まじょだ!」

こんにちは。

今年のハロウィンも、近所のママ友の計画に乗っからせてもらったくるみです。

 

今年も女子2人は仮装しました。

ひめは美女と野獣のベル。

ちびはプリンセス。

(ちびには家にあった白いドレスを着せたのですが、「ラプンツェルになりたい!」とゴネるので、ひめと2人で「ラプンツェルも白いドレス着ることもあるよ!」となだめて納得させました(汗))

 

 個人的にはベルの真似をしたひめの髪型がとてもうまくいったので、大満足でした。

 

ハロウィンでは魔女の仮装をした方もいるのではないでしょうか?

今日は、少し変わった魔女のお話です。

 

小さいキリンを飼ってみたい

魔女がいた。名前はボラ。キリンが飼いたくなったので魔法で小さくして飼った。キリンに対して柄にもない優しさを示した魔女だったが…絵画のような絵と驚きの展開が楽しい絵本です。

 

割れたあご,土色の四角い顔の魔女。

出っ歯のキリン。

抽象画のような背景。

個性的な色使い。

 

独特のの世界観があります。

 

抽象的な絵と違い、ストーリーはわかりやすいけれど、途中、急展開があり、「えー!」とひめもびっくりしていました。

最後は新しい始まりの予感を残して終わるのですが、「どういうこと?」とひめ。

なんとも不思議なお話です。

 

キリンを小さくして飼うなんて、ちょっといいなぁ、と思ったり、帽子を冷やしてかぶるという変な趣味に笑ってしまったり、この魔女の憎めないキャラクターに惹かれてしまいます。

 

猫とキリンも魔女のことを本当に恐れ嫌ってはなさそうなところもなんだかほんわかします。

魔女のことを慕っているように見えるところさえあります。

 

なんたって魔法を使える魔女なわけだし、魔女の話ならこのくらい不思議な話でいいかもしれません。

 

ちょっと無気味な奇妙な顔の表紙といい、なんだか心に残る1冊でした。

まじょだ!

まじょだ!

 

 

人間味溢れる猫の話「ブチョロビッチョロはどこ?」

こんにちは。

「カレーの匂いがする」と言うちびに「鼻がいいね~」と言うと、「みて!あながあいてるからね」とドヤ顔で鼻の穴を見せられたくるみです。

 

坐骨神経痛を改善するために、早朝、近所を歩いているのですが、驚くのが猫の多さです。

同じルートを歩いていると、不思議とほとんど同じ場所で同じ猫に会います。

 

太った猫、細い猫、白いの、ぶちの、真っ黒の…

猫もいろいろいますが、ほとんどの猫がとる行動は同じ。

さっと離れて、家々の敷地に潜り込み、そこから、私が自分の視界を離れるまで、警戒心剥き出しに、じーっと睨みます。

 

野生を感じます。

 

犬派か猫派かと言われるとどちらかというと犬派の私ですが、あの背中のカーブと警戒心がワイルドでしなやかでかっこいいなぁと思います。

 

さて。

今日の絵本は飼い猫の楽しいお話です。

 

「きらい」だけど…

チコちゃんはねこを飼っています。ブチョロビッチョロという名前です。けれど、ブチョロビッチョロはチコちゃんがきらいでした。同じご飯にうんざりし、遊びに付き合わされるのもいい迷惑。とうとうある日、ブチョロビッチョロはチコちゃんの家を出ることにしました。ネーミングやチコちゃんのキャラクターも面白い、ユーモア溢れる絵本です。

 

題名から「ブチョロビッチョロ」ですから、子どもを惹きつけないわけがありません。

そして、ぼーっと生きてんじゃねーよでお馴染みのおかっぱ頭のチコちゃんと同じ名前で、髪型もおかっぱのチコちゃん登場。

 

最初から大興奮の子供たちです。

ひめ「ブチョロビッチョロって名前なの?」

ちび「ブトロットロ…?」

ひめ「チコちゃんってあのチコちゃん?」

ちび「こわいやつだ!」(ちびはぼーっと生きてんじゃねぇよと言う時のチコちゃんの顔がこわいらしいのです)

 

「すき」「なかよし」「いつもいっしょ」などという設定は数あれど、最初にばっさりと「きらいでした」と言ってしまうのも面白く、嫌がる猫の表情もいい味出してます。

 

思わず繰り返したくなるニャンコロビッチという名前の猫も出てきて、物語は楽しく展開し、終わりを迎えます。

 

そして読後には温かいものが残ります。

 

ブチョロビッチョロは本当にチコちゃんが「きらい」なのでしょうか?

 

「きらい」だけど憎めない。

「きらい」だけど愛着がある。

「きらい」だけどいないと寂しい。

 

そんな不可解な気持ちってありますよね。

押され続けていたのに急に引かれると、ちょっと待って!となる気持ちもわかるなぁ。

 

そんな風にブチョロビッチョロの心の動きに人間らしさを感じて、面白かったです。(猫だけど)

 

ひめは、「なんでそんな長い名前付けたのかな」「チコちゃんがつけたの?」「変な名前ばっかり」と名前について、何度もコメントしていました。

小学校低学年も十分楽しめると思います。

 

とても楽しい絵本です。

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死んでも消えないもの「わすれられないおくりもの」

こんにちは。

台風が過ぎ去り、ある程度予測できた災害でも、天災から逃れることは難しいのだなぁと自然の脅威に慄いているくるみです。

被害に遭われている方が一刻も早く穏やかな暮らしを取り戻せますように、心からお祈り申し上げます。

 

 

この夏、大好きだった伯母が亡くなりました。

 

母とは性格が合わず、年々すれ違う部分を多く感じているのですが、母の姉であるその伯母には共感できる部分が多く、親しみを感じていました。

 

子供がいなかった伯母は姪っ子甥っ子を自分の子供のように愛してくれました。

明るく、よく笑う彼女は、みんなに慕われ、彼女の周りにはいつも笑顔が溢れていました。

 

親しい人が亡くなったのが初めての私は、思い出してはメソメソして、想いを消化できずにいます。

思っていたより早かった別れを、とてもとても残念に思います。

もっと相談したいことがあったのに。

もっと話をしたかったのに。

もっと子供たちと会いにいけば良かった。

……

 

また、死ぬということについて、ふとした時に、考える時間が増えました。

  

これから、親もどんどん老いて、自分も家族も友達もだんだん老いて、死を経験することが増えていくでしょう。

考えたくはないけれどもしかしたら、万が一、生きている間に子供の死に直面することもあるかもしれません。

 

これから出会う死を、私は乗り越えていけるのだろうか…

 

そんな死にまつわる心のささくれを鎮めて欲しいときにも、絵本は助けになります。

 

 身体がなくなっても残るもの

アナグマは何でも知っていました。もう自分が長く生きられないことも知っていました。ただ、後に残していく友達が悲しむことだけが気がかりでした。友達の楽しそうな姿を見て幸せな時間を過ごした夜、アナグマは夢を見ました。長いトンネルの中を走る夢。アナグマはとうとう死んでしまったのです。

 

今回は思いっきりネタバレになってしまいそうです。

(まっさらな気持ちで絵本を楽しみたい方はこの先はご遠慮ください。)

 

アナグマが死んで、モグラは涙が止まりません。

アナグマが心配した通り、友達は悲しみでいっぱいです。

 

悲しみのまま雪が覆い、冬を越え、春になって、みんなはアナグマとの思い出について少しずつ話し始めます。

 

アナグマはみんなにそれぞれ豊かに暮らせる知恵や工夫という宝物を残してくれました。

モグラにはハサミの使い方を。

カエルにはスケートの滑り方を。

キツネにはネクタイの結び方を。

ウサギにはパンの作り方を。

 

豊かに生きていける術を教えてくれたアナグマ

暮らしの中でふとその豊かさを噛みしめるとき、みんなはアナグマを思い出すのでしょう。

教えてくれた場面、アナグマの言葉遣いや表情を思い出すとき、みんなの記憶の中でアナグマは生き続けています。

 

アナグマの身体はなくなっても、自由になったアナグマは生き続けているのです。

 

魂があるとかないとか、心と身体は分けられるとか分けられないとか、そのような議論には詳しくないのですが、このように考えると、誰かが死ぬとき、何も残らないということはまずありません。

一緒に過ごした人には思い出が残ります。どんなに小さな赤ちゃんであっても、お腹にいた時の思い出は残ります。

 

伯母のことを思っても、私の記憶にはまだ伯母の姿があります。

もちろん全てが記憶に残っているわけではありません。

残っているのは、言われて嬉しかった言葉や、大笑いした思い出、ソフトクリームを食べながら運転していた横顔、作ってくれたおにぎりの味、言い争いしたこと、少し嫌だったこと…など。

残っている記憶は、その時の私の心に響いた出来事が多いです。

 

おそらく、良い方にも悪い方にも大きく心を揺らしたことは記憶に残りやすいのだと思います。

 

ふと、私が死んで、みんなの心に残ることはどんなことだろうかと考えます。

 

それが嫌なことでなくて心が温まるような場面だったらいいな。

願わくば、アナグマのようにその人の人生を豊かにすることであったら…。

 

けれど…

子供達にはガミガミと怒る恐い顔、夫には家事をダメ出しする冷たい顔、母には心を開いていない不満そうな顔。

今のままではそんな記憶が残ってしまうのではないかと不安になりました。

 

楽しそうな友達を幸せそうに眺めるアナグマのように、穏やかな気持ちで人に優しくしたい、と改めて思います。

 

ひめは、アナグマが死んだとき、信じたくない気持ちからか、「これも夢なんでしょう?」と言っていました。

三途の川のように用いられているトンネルの夢の比喩がわからなかったのかもしれません。

もう少し、ゆっくり読み聞かせをした方がいいのかな。

 

私はアナグマが、トンネルの中で、動きにくくなった身体から自由になって走る場面が印象的でした。

老化であれ、病気であれ、うまく動かない身体から解放されるということが、死だとしたら、清々しいものなのかもしれません。

 

実際は、どんな感じでしょうね。

経験した人には聞けないですもんね。

 

もし、私が無事年老いて、自分で死期を予感するようになったら、その時にもう一度読みたい絵本です。きっと死が怖くなくなると思います。

そして、それまでにたくさんのものを周りの人にプレゼントしていたいです。

 

森の動物たちの絵も優しく、心に残る絵本です。皆さんも是非。

わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)

わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)

 

 

 

子供に食べさせたいのなら「ごはんのじかん」

こんにちは。

やっと秋めいてきて、寒いのは寒いので苦手なんだった、と毎年のように思うくるみです。

 

子育て中の方々、子供のお世話で1番憂鬱に感じる時間はいつですか?

 

喧嘩の絶えない日中の時間?

宿題をやらせるのに疲れる放課後?

自分のペースで入れないお風呂?

なかなか寝ないせいで、こっちが寝落ちしそうな寝かしつけ?

 

どの時間もそれなりに大変ですが、私が憂鬱なのは、断然ご飯の時間です。

1番下が3歳となり、子供のお世話が少し落ち着いてきた我が家ですが、ご飯の時間はなかなかにストレスを感じる時間です。

 

男子なのにあまり食べないにーさんを始め、ちびと同じくらいの量しか食べないひめ、食べたいものだけ食べるちび。

 

食べることにあまり興味がないので、全く集中して食べません。

それなら、今日あったことなど話しながら和やかな団欒の時間に、と思いきや、話し始めると、クイズなどの遊びになったり、口喧嘩を始めたりします。

 

「前を向いて食べなさい!」と何度も言い、結局ちびの口には一口一口食事を運び、上の2人もとにかく時間がかかるので、なかなか片付けることもできず、イライライライラ…

 

そんなに私が作ったご飯が美味しくないのか!!

と叫んで、ちゃぶ台をひっくり返したいです。

(実際はテーブルで食べてるんですけど。)

 

あぁもぉ!本当は楽しい食卓にしたいのにっ(泣)!!

 

そんな私をクールダウンさせるのにぴったりの絵本がありました。

 

子供に食べさせたいのなら

「ごはんよー」と呼ばれた女の子。お絵かきに夢中だった女の子は嫌々ながら食卓につきます。すると、絵から抜け出したワニ、クマ、オオカミがやってきて…。食べたくない子供の気持ちに寄り添ってくれる絵本です。

 

子供は欲求に忠実。

時計や栄養バランスで食べているわけではないのです。

食べたいときに食べたいものを食べたい!

 

いやいや、本当は誰だって、大人だってそう。

 

そういえば、私も1人ランチは好きな時間に適当なものを食べています。

やりたい事がある時はささっと済ましてしまったり。

何かを夢中でやってる時は食事に時間をとられたくはないものです。

 

ただ、大人になるにつれて、栄養バランスの重要性や、現実的な時間の問題、作ってくれた人への気遣いを学び、文句を言わず、時間を決めて食べるようになるのですね。

 

子供に食べさせたいのなら、とにもかくにも、空腹にさせるのが1番。

改めてそれはそうだよなぁ…と納得させられました。

 

ひめとちびは「私はワニが好き!」「〇〇ちゃんはクマ!」と動物が気に入ったみたいでした。

女の子が描いた模様がとても愛らしい動物たちです。

 

子供が食べたくないとき、こんな動物が来て、「すてきなごはん!」と言って美味しそうに代わりに食べてくれたら、子供も私も救われるのになぁ、と、夢見てしまいました。

 

明日から空腹を意識しておやつの食べ方を見直してみようっと。

ごはんのじかん (ポプラせかいの絵本)

ごはんのじかん (ポプラせかいの絵本)