探究心を育む絵本「あめがふるときちょうちょうはどこへ」
こんにちは。
今週はなんだか体が重いくるみです。
にーさんは小学校5年生ですが、勉強が難しくなるにつれて、だんだん科目の好き嫌いが出てきました。
幼い頃、幼稚園バスで先生に計算問題を出してもらって喜んで帰ってきたり、科学の絵本が好きだったので、てっきり理系の教科が好きなのかと思っていたのですが、「理科は嫌い」と一蹴されました。
社会が好きらしいです。
逆に、小学校に入るまで足し算もほとんどできなかったひめですが、日々の会話から、理科が好きになるかもしれないな、と思うことがたびたびあります。
「(湯気を見て)わぁ、すごいいっぱい白くなってる!どうして?」
「(トマトを切って)こうやって切るといつもの切り方と違う模様になるんだね。」
「(マステを使いながら)どうしてくっつくんだろう?」
身の周りの不思議について考えたり、不思議だと思う気持ちが強いです。
にーさんは新しい知識を得るのが好きで、ひめは知らないことを体験することが好きなようです。
私自身は悩みに悩んで理系に進みましたが、どちらかというとにーさんタイプで、理系にはそれほど向いてなかったような気がしています。
理系の研究では、「どうなっているんだろう?」「見てみたい!」「こうやったらどうかな?」という気持ちを持続することこそが1番大切なのではないかと個人的には思います。
答えを探す過程も楽しめる人が向いているのではないでしょうか。
ひめはまさにその過程を楽しめる気がします。(若干飽きっぽくもありますが)
そこで、そんなひめを思い浮かべて選んだ絵本が今日紹介する絵本です。
静かな探求心
ポツポツポツン。雨が降ってきたら皆さんは傘をさしますね。でもミツバチやウサギやアヒルはどうするのでしょう。やさしい翅をした蝶々はどこへいくのでしょう。様々な動物に想いを巡らせ、静かに語りかけ、なぜと思う心に寄り添うような絵本です。
蝶はひらひらと薄い翅を羽ばたかせて飛びます。
その翅はとても心もとなく見えます。
雨で濡れてしまったら、どうなるのでしょう。
題名が示すように、この疑問から始まります。
そして、他の動物は雨の時どうするのだろう、と考えていきます。
この絵本のステキなところは、穏やかで優しく語りかける口調と、科学的な内容の絵本なのに何も難しいことを言わないところ、結論を言わないところだと思います。
まあ逆を言えば、真相を知りたい人にとっては物足りない本、とも言えます。
新しいことは何も教えてくれません(笑)
でもそこがいいなと思って読みました。
疑問を共有している感じがするのです。
確かに、蝶はどうしているんだろう、今度見てみようかな、という気持ちが湧いてきます。
それこそが正に科学の入口だと思います。
ひめは静かに聞いていましたが、最後まで聞いて「教えてくれないんだぁ」と驚いていました。
いつか自分で発見してみてね。
最近ウサギにはまっているちびは「うさぎさんいるかな。」「いたぁ!!」と、うさぎのページで盛り上がり、お話自体は聞いてるんだか聞いていないんだか。
3歳には少し難しいかもしれません。
あまり色彩のない絵は、雨の情景を映してるようで美しいです。
また、文章の柔らかい雰囲気がとても好きでした。
昔の絵本の言葉って少し馴染みのない言葉があったりもするけれど、趣きがあっていいですね。
背筋が伸びる感じがして、自然にゆっくりと発音できます。なんでなんでしょう…
皆さまも是非。
あめがふるときちょうちょうはどこへ (世界の絵本ライブラリー)
- 作者: メイ・ゲアリック,レナード・ワイスガード,岡部うた子
- 出版社/メーカー: 金の星社
- 発売日: 1974/08
- メディア: 単行本
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だれのお手紙かな?「いろいろおてがみ」
こんにちは。
夜型と朝型の狭間でふらふらしているくるみです。
なかなか完全な朝型になれません。
さて。
皆さんはお手紙を書くことはありますか?
メールやラインで気軽にメッセージを送れる現代で、どのくらい手紙は書かれているのでしょう。気になります。
私はというと、先日の敬老の日に、ちびが幼稚園で作った絵を両親に送るために手紙を同封しました。
年に何回か、子供絡みでそんなことがあるくらいです。
あとは、たまに子供に置き手紙して、用事を伝えることもあります。
でも、これは手紙というかほとんどメモ…
私の母はお手紙が好きです。
メールにあまり親しみを感じていないお年寄りは、手紙好きの方も多いのでしょうか。
でも、義母は手書きするのが嫌みたいで、手紙もあまり好きそうではありません。まあ人によるのでしょうね。
お年寄り以外でいうと、スマホもパソコンも持たない子供はお手紙が大好きですよね。
ひめは近所のお友達とお手紙交換して遊ぶのが大好きです。
ポストに行かずとも郵便受けに直接入れられるのであっという間に届き、お返事を書いたり、楽しそうです。
中高生はどうなのでしょう。
私が学生の時は授業中に回したり(良い子はマネしてはいけません。)、絵が上手な友達が似顔絵を描いたり、先輩とやり取りをしたり、可愛い手紙の折り方を知っている友達を尊敬したり…手紙にまつわる思い出が多くあります。
今はどうなんでしょう。
私たちの世代になるとお手紙のやり取りはほぼしませんよね。
年賀状くらいでしょうか…
デジタルツールでのやりとりが主流になってから、手紙の存在は、より堅く重たくなった気がします。
突然友達から手紙をもらったら、何事だろう??と思ってしまいます。
今は、100均でも可愛いレターセットがあって、買って使いたいのですけど、なかなか書く相手がいません。
ずいぶん前に、ほぼ日ストアでミナペルホネンのまん丸いレターセットを一目ぼれして買ったのですが、それもまだ全然使えていません。
そう、手紙には便箋選びの楽しみもありますよね。
今日は便箋を見るのも楽しい可愛い絵本を紹介します。
だれのお手紙かな?
はなちゃんはお手紙が大好きです。くるかなくるかな、と待っていると次々にお手紙が届きます。黒い模様、しましま模様、もこもこ、大きいの、小さいの、誰からかな?特徴的な封筒かを見て差出人を当てるのも楽しい絵本です。
表紙をめくると満面の笑みのショートカットの女の子。
その笑顔だけでも心がほっこりします。
ページをめくると、まずは白地に黒いぶち模様の封筒。
封をしているのは牛乳パックのシール。
だれからかな?
クイズ好きの子供の心を掴みます。
もぉーと鳴くあの子かな?
と、ページをめくると、開いたお手紙と吊りズボンを履いた牛くん。
手紙の最後に書かれた名前を見つけ、「もうたくんって言うんだね!」とひめ。
「やっぱりうしだぁ!」とちび。
そんな風に次々と郵便受けに来るお手紙を開いていくのです。
途中で誰だかわかりにくいお手紙や、最後に嬉しいお手紙もあって、子供にはとっても楽しい絵本でした。
私は、はなちゃんが真剣にお返事を書いている姿が可愛くて好きでした。
はなちゃんはやっぱり、お花の模様の便箋!
くるかな?だれからかな?どんな便箋かな?
お手紙にはわくわくがたくさんありますね。
お手紙の魅力を再発見できる絵本でした。
誰でもない自分の人生「あな」
こんにちは。
月曜が祝日の週は曜日感覚が狂い、回り回ってなぜだか木曜日が金曜日気分のくるみです。
さて。
皆さんは今の人生に満足していますか?
突然の重いテーマですみません。さらっと読んで頂ければ幸いです。
現在、ほとんど専業主婦の私。
毎日ご飯を作って、食べさせて、送り出し、片付けて、洗濯や掃除して、帰ってきた子供におやつをあげ、習い事の送り迎え…
昨日も今日もたぶん明日も…同じような毎日です。
特別、社会に貢献しているわけでもありません。生産性もありません。
坐骨神経痛になってからは、お年寄りと一緒に並んでブロック注射を打ったり、マッサージを受けたり。
同年代の看護師さんたちに優しい言葉をかけられて、その優しさに泣きそうになり、仕事っぷりに尊敬の念を抱きます。
進学校だったため、学生時代の友達は皆バリバリ働いてすごい人生を送っていて、フェイスブックなどを見ると圧倒されます。
もはや羨ましいというレベルでもありません…
以前の私なら、周りと比べて自分の不甲斐なさを嘆き、苦しんでいたと思います。
けれど、最近はそうでもありません。
いい意味でも悪い意味でも、顕示欲や出世欲のようなものがなくなりました。
いろいろと手がかかったにーさんを産んで育てているうちに自分の内面はかなり変わってきて、それが関係しているのは間違いないです。
年齢を重ねたせいもあるし、マイペースな夫の影響もあります。
また、2011年の災害から、普通に生きていることがありがたいことだと思えたのも大きいです。
理由はともあれ、まあこれはこれで自分だなぁ、と思えるようになったのです。
なぜ、こんなことを語っているかというと、この絵本を読んで漫然と考えたから、です。
では、とりあえず絵本の紹介を。
これはぼくのあなだ。
日曜日の朝、何もすることがなかったのでひろしは穴を掘り始めました。お母さんや妹や友達やお父さんが来て、言葉を交わし、その間もひろしは掘り続けます。掘った穴の中に座っているひろしに、またみんなが話しかけます。淡々と流れる時間とひろしと穴。不思議な世界観の絵本です。
ストーリーとしては、ひろしくんが穴を掘る、穴から出る、埋める、それだけです。
家族や友達はその姿を興味深く見て、皆それぞれの感想や提案をしますが、ひろしくんは気にせず、掘り続けます。
できた穴に座って静けさと土の匂いを感じていると、またみんなはやってきて、穴についてそれぞれコメントを残していきます。
そして、空の色が変わった頃、ひろしくんは穴から出て、穴を眺め、穴を埋めます。
久しぶりに読み聞かせに参加したにーさんは、「掘ったのに埋めて、1日何してんだよ」とつっこんでいました。
そうなんです。本当に、それだけの絵本なのです。
なのに、読後も気になって仕方ありません。
これは ぼくの あなだ
というひろしくんの言葉が特に心に残りました。
それで、前述の話に続く、自分の人生についてを考えることになったのです。
もし、人生が穴を掘ることだとしたら…
子供の頃の私は、穴を掘り続ければ、特別な何かが起こるはずだと思っていました。
例えば、温泉を掘り当てるとか、油田を見つけるとか、もしくは他の誰かと運命的に出会うとか。
掘っていればドラマティックな何かが起こったり、光差すどこかに辿り着けると思っていました。
むしろ、そこを目指して掘らなければいけないと思っていたのです。
そして、思春期や学生時代。どこを掘ったらいいのかわからず悶々とします。
周りの人達は既に大きな穴、深い穴を確信を持って掘っているのに自分は全然掘れていません。
少し掘ってはここではない気がして、途方にくれ、それでもとにかく掘らなければと焦ります。
結局、ただなんとなく掘り続けて今に至ります。
後から思えば、違うところを掘ったら良かったかな、という曲面も何度もありましたが、とにかく掘りました。
そして、今も掘り続けています。
掘り続けたのでとりあえず穴はできます。
時々は休憩して見上げたりして。
さらには最後に穴全体を眺めるときに。
これは ぼくの あなだ
誰のものでもなく自分の穴だなぁ、と思うのは悪くないです。
人生とはつまるところ、そういうものなのかもしれません。
そんな風に思えるのは自由があるからこそです。ありがたいです。
私の拙い文書力で、どれほど伝わるのか、かなり不安ですが、私の思ったことはそんなことです。
単純にひろしくんの子供らしい休日の過ごし方を楽しんでもいいし、含みのある絵本なので、私のように何か考えるきっかけにしてもいいかもしれません。
絵本の向き、表紙の穴から眺めた景色も味わい深い1冊です。
敬老の日におすすめの絵本「おばあちゃんのあかいマント」
こんにちは。
久しぶりに公園でバドミントンをして、楽しかったくるみです。
さて。今日は敬老の日。
おじいちゃん、おばあちゃんに感謝を伝える日、送ってきた長い人生を労う日ですね。
ちびが幼稚園で作ってきた絵にひめが描いた絵も同封し、一昨日ポストに投函しました。
でも、3連休って配達されるのかな…
私自身が東京に住んでいて、大分に住んでいる祖母の家に行っていた経験から、おじいちゃんおばあちゃんというと、ザ・日本家屋に住んでいて、昔ながらの暮らしをしていて、遊びに行くと普段はなかなかできない海遊びや山遊びができる、という印象が強いです。
実際、絵本でもそういうおじいちゃんおばあちゃん像のお話は多いように思います。
けれど、時代は令和。
都会で現代的な暮らしをしているようなおじいちゃんおばあちゃんも多いのではないでしょうか。
子供たちの祖父母にあたる私の両親も義両親も、都会とは言えませんが、市街地に住んでいて、虫取りや採れたての野菜などとは縁遠いです。
子育ては自然豊かな郊外で、という家庭もあるでしょうし、孫の方が田舎に住んでいることもあるかもしれません。
今日の絵本は、大都会に住んでいるおばあちゃん、が出てくるお話です。
勇気をくれたおばあちゃん
「おばあちゃん、ぼく、とまりにきたよ!」と大きな街に引っ越したおばあちゃんに会いに来たぼく。人がいっぱいいて、大きな音がして、怖い物でいっぱいの街が好きになれず、眠れません。そんなぼくに、おばあちゃんは素敵な贈り物をしてくれます。すると、街が昨日とは違って見えて…。ぼくと一緒になり、なんだか勇気が湧いてくる絵本です。
初めての街で目に映ったもの。
満員電車、騒音、壁の落書き。全てが怖いものばかり。
おばあちゃんはどうしてこんな所に住んでいるのかと、ぼくは怪訝に思います。
そんなぼくにおばあちゃんはとっておきのプレゼントをくれ、それをきっかけに街のいい面が見えてくる、というお話です。(ネタバレしてますね、ごめんなさい)
赤い帽子の羽根、赤いメガネ、赤いバッグ、赤いブーツ。黄色いコート。
おばあちゃん、とってもおしゃれで可愛いです。
そして、新しくて楽しいことが大好きな、カッコいいおばあちゃんです。
知らないことを怖く感じる気持ち、ありませんか。
何でも経験したことがないものは、少し怖いものです。
けれど、やってみたり、知ってみると、とても楽しかったり、今よりいい状態になったり。
人に対してもいえるでしょう。
苦手そうに見えていた人が、とても楽しい人だったり。
話しかけてみないとわからない。でも、話すのが怖い。
心を開くことで世界は広がります。
そして、心を開くのに必要なのは、勇気。
おばあちゃんがぼくにくれたもの、です。
子供の頃は特に、経験したことがないことが多いので、次々に新しい扉を開いていかなくてはなりません。
勇気は生きていくのにとても大事です。
本当は大人だって、そうですよね。
1秒先の未来だって、誰も体験したことはないのだから。
人はいつでも新しい世界に進み続けているのです。
自分の中に壁を作らずに、行ったことない場所、知らないこと、知らない人、食べたことない物、たくさん体験して、豊かな人生を送ることの楽しさ。
それに必要な勇気。
この絵本が教えてくれます。
勇気には、全く自信がないのですが、勇気ある姿を子供に見せていきたい、と思える絵本でした。
首をのばして〜リラックス!「ぺんぎんたいそう」
こんにちは。
昨日も今日も異様に暑かったです。
幼稚園の送迎でシャワーを浴びたように汗をかき、若いママさんに嫌われやしないかとハラハラするくるみです。
坐骨神経痛が少し落ち着いてきたと思ったら、最近になって首と肩が痛くなってきました。
これ以上は痛くならないで、と祈るばかりです。
スマホやパソコン、読書など…現代人は前傾
姿勢になりがちだとか。
整体で肩甲骨を広げる運動を薦められて、思い出した時にやるようにしています。
やり始めるまでは面倒なストレッチですが、やると気持ちいいんですよね。
年とともに硬くなっていく身体。
子供と一緒にこんな体操はどうでしょう?
ベンギンと体操しよう!
大きいペンギンと小さいペンギンが、首を伸ばしたり縮めたり。ペンギンらしい可愛い動きが体操になりました。一緒にやってみましょう!いっちに、いっちに。あたまとおなかを〜…ぺったんこ!それは無理!小さい子供も楽しめる1冊です。
ベンギンはお好きですか?
短い手足でパタパタ歩く姿も、ぽってりした形も愛らしく、私は大好きです。
この絵本では、親子のような2頭のペンギンが一緒に体を動かして体操します。
パタパタと腕を振る姿に、「可愛い!」
ジャンプする姿にも、「可愛い!」
我が家の女子のハートを掴む彼ら(男なのかは不明)は、あれれ、よく見ると全然親子じゃないんですね。
違う種類のベンギンです。
それはそれで、とても可愛い!
種類は違えど動きは一緒。
頭をおなかにぴったりなんて、人間にはできませんが、ちびとひめは、「可愛い!」と言っては真似をして、全て一緒に体操していました。
大人も一緒におしりフリフリして身体も心もリフレッシュするのもいいかもしれません。
とっても癒やされます。
人のいいところ、言葉にして教えてあげよう「ぼくはなきました」
こんにちは。
ふとカレンダーを見て、あれ、2019年ももう9月なのか!と驚いたくるみです。
さて。
私は元JUDY AND MARYのYUKIさんが好きなのですが、彼女が昔、「何か1つ自分の誇れるとこを見つけてバリバリって見せていけば生きていける」みたいなことを言っていたのが印象に残っています。
それを聞いて私は思いました。
確かにそうだ!
自分の好きな所。得意なこと。人とは違うところ。
1つ見つけて、それを生かすことだけを考えれば生きやすいだろうな。
本当にその通り!
と。
でもね…
その何か1つが何なのかがわからないんだよ…。
速い足、
1つだけ抜群に優れた教科、
生まれてからずっと大好きで続けている趣味、
など…
これといった何かを持っている人ってどのくらいいるのだろう。
私は、自己肯定感があまりなく、他の人と比べて秀でているところなど見つけられず、さらには、優柔不断で好きなことさえも絞ることができませんでした。
そんな私が、ぶつかった大きな壁は就活です。
就活は、正に自分の誇れるところを見つける作業です。
自分に向いている職場を探す。
自分の長所を見つけて、アピールする。
自分には何ができるのかをプレゼンする。
私が大学卒業した頃、世は正に就職氷河期と呼ばれるまっただ中でした。
試行錯誤し練った案を、緊張でうまく伝えられず、落とされる。
伝えられなかったから落ちたのか、伝えられても落ちたのか…
まるで自分の長所なんてない、もしくは長所があったとしても役に立たない、と言われているような気になり、落ち込む。
そんな日々でした。
私のいいところってどこなの?
泣きたい。
今日の絵本は、そんな当時の心境を思い出した絵本です。
その1つが見つけられない
学校で、参観日に自分のいいところを書いて発表することになりました。ところが、いくら考えても思い出すのは友達やお母さんのいいところばかり。「ぼくは いいところが ありません」泣きそうになりながらそう言ったとき、先生は…。自分探しをする全てのひとに生きるヒントをくれる絵本です。
なにかひとつに自信があれば、それだけで生きていける
と帯にあります。
YUKIさんも言ってた通り、やっぱりそうなんですよね。
けれど、その1つを見つけるために主人公のぼくは悩みます。
どんなに考えても、人のいいところばかりが浮かんできて、自分のいいところは1つも浮かびません。
そして、とうとう先生に助けを求めます。
主人公のぼくが泣きそうになりながら先生に訴えるところで、その絞り出した想いにじんときてしまいました。
ぼくは いいところが ありません
子供にそんな想いまでさせて、いいところをアピールさせる授業ってどうなんだろう、とさえ思います。
わざわざ言葉にしなくても、誰にだっていいところはあるのに。
そもそも、「いいところ」という、良い悪いで評価をすること自体が、人格を尊重することに反しているのではないのか…などなど、
反発心が芽生えてきます。
要は、悩み苦しむぼくが可哀そうなのです。
でも、現実的には人生でいつかはぶつかることです。
自分のいいところを明確にわかっていた方が、生きていく上で断然生きやすいのです。
小さいうちに考えておいた方がいいのかもしれません。
追い詰められたぼくに、先生は優しく、ぼくのいいところを教えてくれます。
そこで、はたと気付きます。
自分のいいところを見失っている時、誰かに教えてもらえるのはいいな、と。
こんな風に仰々しく教えてもらわなくても、日常的にたくさん褒め合っていればいいんだ、と。
自分では気が付かなくても周りが気づくことってたくさんあります。
「私はあなたのこういうところが好き」と普段から言っていれば、言われたことの中から自分で納得のいく誇れるところを見つけられるかもしれません。
こんな風に迷いなく、子どものいいところを本人に教えてくれるような先生に、我が子が教えてもらえるといいなぁ。
学校が好きになるシリーズというだけあって、素敵な先生が描かれています。
にーさんが習ってきた先生もわりとこんな感じの先生でした。先生とは人のいいところを見つけることができる人が向いていそうですね。
なんて思ってないで、 親の自分自身がもっと子どもにいいところを言ってあげたらいいんですよね。
明日から、意識してもっと言葉にしてみようかな。
ぼくはなきました: 学校がもっと好きになるシリーズ4 (学校がもっとすきになる絵本シリーズ 4)
- 作者: くすのきしげのり,石井聖岳
- 出版社/メーカー: 東洋館出版社
- 発売日: 2019/04/04
- メディア: 大型本
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相手を想う気持ちに終わりはない「おかえし」
こんにちは。
ホームベーカリーの羽根が見当たりません。誤って生ゴミと一緒に捨てちゃったのかもしれません。
あの小さな部品がないだけで、この重たい箱型の機械があっても何にもできない…
鍵とか水筒のパッキンとか、小さいくせに、なくなると致命的な物の存在が恐いくるみです。
さて。
皆さんはプレゼントをもらうのが好きですか?
うんうん、嬉しいですよね。(勝手に^^;)
誕生日にクリスマス、サプライズ、お土産、ホワイトデーに出産祝いなどなど…
贈るのも贈られるのも嬉しいものです。
けれど、実をいうと私にとって、嬉しいのと同じくらい、苦手なことでもあります。
というのも、お返ししなきゃいけないかな、お返しのプレッシャーを与えちゃったかな、などと考えると、素直に喜べないのです。少し重たい気分になることもあります。
なんてこじれてるの、私って…(泣)
私の母は、お返しにうるさい人で、「もらったんだから返さないと」「あの人には前にお祝いをもらっているから…」「あの時あげたのに何にもないわ」などと言っているのをよく聞いてきました。
一方、私はというと、とにかく忘れっぽくて、抜けているので、お返しするのを忘れることもしばしば…
その度に罪悪感に苛まれるので、いただくこと=お返しのプレッシャーという思考回路ができているのです。
これって私だけでしょうか?
思えば、結婚式での引き出物や、新婚旅行のお土産、出産祝いの内祝い、バレンタインデーなど、日本にはお返しの文化が根付いているように思います。他の国と比べてどうなんでしょう?
本来なら、感謝の気持ちを表すはずのものなのに、そのせいで心から感謝できないって、本末転倒もいいところ。
どうにかしたい心の動きの1つです。
個人的にはお返しなんてなくなってしまえばいい、と思います。
気持ちがある時に贈る、お返しを期待するような贈り物は贈らない、いただいた物に対してはその場で精一杯の感謝を示す、という方がシンプルで相手に負担もかけない気がするのです。
いただいたことをきっかけに、私も贈りたい!と思って贈り物するのはもちろんいいのですが…(それがお返しっていうものなのでしょうけど)
お中元やお歳暮などの文化がなくなりつつある昨今では、人々はこんなところで立ち止まらず、良いバランスで自分らしく贈り物ライフを楽しんでいるのかもしれませんね。
不器用な私はうまいバランスがわかりません。私も早く抜け出したいっ!
いただいたからお返ししないと…
という心理をとっても可笑しく、可愛く、物語にした絵本があるので紹介します。
エンドレスおかえし
タヌキの家の隣に引っ越してきたキツネのおくさんは、タヌキの家へイチゴを持ってあいさつに行きます。すると、それをもらったタヌキのおくさんは何かお返ししなくちゃと家の中を見回し…。さあ、キツネとタヌキのお返し合戦の始まりです。小さい子供も物語で笑える楽しい絵本です。
お返しのお返しをするキツネのおくさんに、
お返しのお返しのお返しをするタヌキのおくさん。
それに対して、お返しのお返しのお返しのお返しを・・・
いつまでも続くお返し合戦。
そろそろ終わるのかと思いきや、待って!そんな大切な物まで!
ひめは最後まで静かに聞いていましたが、読み終わって、
「変なの~(笑)面白い、もう1回読む!!」
と気に入っていました。
最後の最後まで、ただ相手のことを想って贈っている様子のタヌキさんとキツネさんがとぼけているけれど、心優しく純粋で微笑ましいです。
似たもの同士、最後にはすっかり仲良くなっています。
お返しなんてなくなれば、なんて導入で書いておきながら矛盾していますけど、お返しという形から絆が生まれることもあります。
相手を想い、お返しをする、というのはお返しの素敵なところ。
どんなツールでもいい面はあり、バランス良く使えば人生は豊かになる、ということですかね。
キツネさんたちが、“お返し”をバランス良く使った...かは疑問ですけど(笑)
わかりやすい物語展開は、幼稚園児でも楽しいと思います。
最終的にどうなるか、をどこで予想できるか、この辺は年齢に寄りますね。
広い年齢層で楽しめる絵本だと思います。