群れの中にも個性あり「むれ」
こんにちは。
幼稚園のお友達についてクイズを出すのが好きなちびから、「いま、おとなりのせきは、だれでしょうか?」と出題されました。なかなか当てられないのでヒントをもらうことに。
「さいしょは『あ』だよ」
「うーん。あ…あ…誰だっけ?わからないなぁ。」
「じゃあ、さいごのもじはね……」
もう1つヒントをくれようとするちびですが、最後の文字を考えるのはレベルが高いようです。
しばらく待っていたら、「わかった!」と叫び、
「『くん』だ!!」
と勢いよく言いました。
1文字でもないし…(笑)
つい笑ってしまい、怒られたくるみです。
(ちびは笑われるのが大嫌いなのです(汗))
さて。
小さいころ、家族で動物の番組をよく見ていました。
記憶に残っているのはヌーの群れが川を渡る様子。
岩に似た、見たこともない角の生えた牛のような動物が、数え切れないほど集まってひしめき合っていた映像。
「角が当たって痛くないのなぁ」「小さい子は渡れるのかな」
と心がざわざわしました。
あんなに命がけで大移動するなんて、動物はなんて大変なんだろう。
時を経て、学生の頃、学校が都心にあり、毎日電車で通っていました。
ラッシュよりも少し早い時間でも、かなりの人の量でした。
遅延が発生したとき、下ってきた階段から見たホームは、ヌーの群れ以上の人・人・人。
ああ。人間も毎日群れで大移動しているんだ、と思ったものです。
今はありがたいことに満員電車とは無縁の生活ですが、考えてみれば幼稚園の送迎で集まるママたちも群れですね。
集まって同じ行動をする、これは動物の習性なのでしょうか。
あまり群れない私ですが(単に友達が少ない)、今日は群れにまつわる絵本です。
透明人間の群れを想像して
よのなかにはさまざまなむれがあります。羊の群れ、きりんの群れ、魚の群れ…あれあれ、おばけの群れ?宇宙人の群れ?雨の群れ?途中から不思議な群れになっていき…。群れの中に1つ混じった変わり者を見つける絵探しが面白く、最後の多様なありの群れを眺めるだけでも楽しい絵本です。
表紙では、アリが人文字ならぬアリ文字を作ってくれています。
「むれってなに?」
ひめが聞きます。
ああ、そうか。そこからか。
まずは羊の群れ。
手書きのイラストのような羊がたくさんかかれています。
いっぴきだけ けが ありません。
「どこ?どこ?」「あ!ほんとだ!!」
絵探しができる絵本でした。
コツをつかんだ子どもたちは、次も探す気まんまん。
絵探しものはうちでは鉄板です。
そんな感じにただただ進んでいくのかと思っていたら、お化けの群れ、透明人間の群れ、雨の群れ…!?
無生物まで現れて、ただの絵探しじゃない!
透明人間の群れって!見えないものを見る心が試されています。
さらっと試し読みしたときには、見つけられなかった宇宙人のページも、ひめは「これだ!ほら、周りと違うでしょ?ぜったいこれが『ぴぽぷぽぺ』!」としっかり見つけていました。(謎の『ぴぽぷぽぺ』、ぜひ読んで探してみて下さい。)
子どもの好奇心と興味の力はすごいなぁと感心します。
それを引き出す絵本の力ももちろんすごいです。
群れから1匹違う方向へ進んだアリが出会う先は、個性豊かなアリの群れ。
頭・胸・腹の3つの部分が、いろいろな形に変化した、実際にはいない創作のアリたちです。
このページも面白く鮮やかなページ、子ども達を惹きつけるページです。
「おだんごアリはどこでしょう?」
「猫アリはどーこだ?」
勝手にクイズ大会です。
同時に、個性豊かなアリたちによって、「世界に1つだけの花」的な個性の魅力も感じます。
群れるのもいいけど、違う方向に歩くことで出会える花もある。
広い世界に飛び出せば、たくさんの未知の個性に会える。
そんなメッセージも読み取りつつ…とても楽しめる絵本でした。
手書きのかわいい字も印象的で、作者の方はどんな方だろうと思ったら、よしもとの芸人さんでした。
思えば、お笑いのフリップネタなんて、そのまま絵本になりそうですね。
逆に絵本を芸人さんの話術で読み聞かせしたら面白そうだなぁ、とも思いました。
次作も期待です。
ご注文は何にしますか?「おすしのずかん」
こんにちは。
体重がほとんど変わらないことに油断していたら、体型が変わっていたくるみです。
さて。
みなさんの家庭では外食といったら、どこにいくことが多いですか?
うちは、にーさんとひめの食の好みが真逆で意見が合わなくて困るのですが、そんな中でも、家族の誰もが満足できるお店といったら、回転ずしです。
突然ですが、私が選ぶ回転ずしのメリットベスト3!
第3位!
お皿が回ってたり、注文用のタブレットがあって、子どもたちを飽きさせない。
第2位!
ラーメンまである品揃え。(ひめは麺派)
そして、第1位は!
子供が自分で食べたいものを食べる分だけ注文できる。
なんか地味な1位。
けれど、これ、私にとってはとても重要。
ファミレスなどにいっても母親は、食べたいもの食べられませんよね?(うちだけ?)
子どもたちみんなが好きなもの頼んだら、
「思ってたのと違った」
「こんなに食べ切れない(だからお子様メニューから選べば良かったのに!)」
「やっぱり唐揚げが食べたかったな」
↓
家では「出されたものを食べなさい」とガンとした態度の私も、久しぶりの外食でガッカリさせるなんてイヤだな…となって、「唐揚げくらい頼んじゃえば?」とつい言ってしまう。
↓
テーブルには余る料理の数々。
↓
夫は「無理して食べるのは体に良くない」などと、正論(?)を振りかざし、見て見ぬふり。
↓
食べ物を残して捨てるなんてバチが当たるし私が食べるしかない…こんなことなら自分のを頼まなければ良かったな。
という経験を繰り返し、はじめから自分の分は頼まない、なんてことありませんか?
子供の食欲はムラが多く、予想外に何も残らなかったりして、私の分がなくなることもしばしば…。
なので、回転ずしが私は大好きです!(同様の理由でバイキング形式も好き)
自分の好きなものを食べられるのって最高です。
普通にお寿司美味しいですし!
今日は、みんな大好き、おすしの絵本です。
ご注文は何にしますか?
へい、いらっしゃい!ぺんぎんずしへようこそ。まぐろ、かつおなど赤いおすし。たい、ひらめなど白いおすし。穴子などの長いおすしに光り物。軍艦その他。おすしをわかりやすくジャンル分けして、それぞれがどんな生物からできているのかを図解してくれます。ユーモラスなペンギンたちもとても楽しい絵本です。
握ったお寿司の絵のページに
ごちゅうもんはなににしますか?
の呼びかけ。
絵で描かれたお寿司は丁寧に描写されていてどれも美味しそうです。
呼びかけに対してもちろん食べたいお寿司を選ぶ子どもたち。
子ども達の注文を待ってから、
かしこまりました。しょうしょうおまちください。
と、次のページを開くと、前のページのお寿司の材料になる魚たちの絵。
店員のペンギンたちが魚を捕まえようと海に潜っている様子が描かれています。
この本、大人でも勉強になります。
以前も白菜の花を見たことがないと言っていた私ですが、魚もさばくことのない日常。学生のころ調理実習でやったっきりです。
まぐろや鯛やうなぎは知ってるものの、スズキさん、わりと立派なヒレを持っていたのね…などなど。
知らないことばかり。
それぞれの魚に付いているい短い説明文のチョイスも絶妙です。
身体の特徴や名前の由来、食べ方など、内容に統一感を求めず、子どもにもわかりやすく魚ごとに興味をひく内容を選んでくれているので、面白く記憶に残ります。
「全長50㌢、生息インド洋…」などと本当の図鑑のように書かれても絵本としては退屈ですよね。
それぞれの魚の絵を眺めて、ひめとちびも、
「鼻すごいながーい!」(かじき)
「くちがながーい!」(さより)
と夢中になっていました。
回転ずしには魚介の他にもお肉や卵などのお寿司もありますね。
そんな「その他のお寿司」の次のページには…
あれれ、牛や豚が海の中で泳いでる!?
ひめとちびはこのページが楽し過ぎて全然先に進めませんでした。
軍艦と巻物のページの最後には、ペンギンが巻かれちゃってる!
ちびは「これたのんで、まわりたべて、ペンギンさんだして、〇〇ちゃん(ちび)がだっこしてあげる」と張り切って注文。
「あと、これ3こ!」と1番大好きなイクラのお寿司もちゃっかり注文してましたけど。
遊び心いっぱいで、食育にもなる、とっても楽しい絵本でした。
同じシリーズで「パンのずかん」もあるそうです。絶対読みたい!
まっすぐってどういうこと?「ぼくはあるいた まっすぐまっすぐ」
こんにちは。
今更ながらはじめて「おにぎらず」を作ってみたくるみです。
ハマリそうです。
さて。
言語を習得中の子供たちのおしゃべりは楽しい勘違いだらけ。
中でも小1のひめは言い間違いが多く、「おっこちょこい(おっちょこちょい)」「がふく(楽譜)」「エベレーター」など、少し心配になるほどいまだに間違えます。
言葉の間違いと言えば、ちびがまだ小さいころ。
三輪車に乗っていたちびに、私の母が言いました。
「前にぶつかっちゃうよ~!バック、バック!」
すると、ちびは後ろには行かず、さっと降りてバッグを取ってきて母に渡しました。
さらに、座り込んで何かしていたちびに、「ちょっと立っちして」と言う母。
手を上げてハイタッチしようとするちび。
全然かみ合っていない2人がほほえましかったです。
そんな勘違いは何度あっても楽しいですが、気を付けないと子供の言いたいことをわかってあげられないことも。
にーさんが幼稚園のころ。
「〇〇くんがぼくのこと、うどんくん、って言うのがイヤ」
と珍しく幼稚園のことを話してきたにーさん。
うどんくん、ってなんか可愛いし悪口じゃなさそう…と思いつつ、
「うどんくんって言われるのがイヤなんだね」と繰り返してみる私。
にーさん「うん、言い方がイヤ」
私「そっか。イヤだって言ってみた?」
にーさん「うん。言ったよ」
私「何度も言われるの?」
にーさん「ううん、1回だけ」
私「1回か…じゃあ、もうこれからは言わないかもしれないね。また言われたら教えて」
という会話がありました。
その数日後、またにーさんの口から同じことが。
私「また言われたの?2回目?あれから何度も言われてるの?」
にーさん「ううん。1回だよ」
私「ん?こないだ話してくれた時と、今日で2回言われただけ?」
にーさん「ううん」
私「昨日は言われた?」
にーさん「うん。」
私「何度も言われるの?」
にーさん「ううん、1回だけ。」
よくよく聞いてみたところ、にーさんにとって、「何度も」=「同じ時にしつこく何回も」ということらしく、友達は会うたびに1度だけ言っては去っていくということでした。
初めて話してくれた時にはすでに何日も言われていたので、さらに何日も我慢していたらしいのです。
あまり話さないにーさんがわざわざ話してくれたのにかわいそうなことをしたなぁ、と思いました。
言葉で情報を共有することの難しさを知ったエピソードです。
大人でも同じことは言えますが、子供に話すときは特に言葉の捉え方の違いについて注意した方がいいですね。
今日の絵本は、子ども特有のまっすぐな言葉の捉え方がキラキラまぶしい一冊です。
まっすぐ歩くってこういうこと
おばあちゃんからの電話をとった男の子。おばあちゃんに教えてもらった通り、歩いておばあちゃんのお家に出かけることにしました。教わったのは「まっすぐ」。ぼくは歩きます。まっすぐまっすぐ…
まっすぐな線。まっすぐに帰る。まっすぐに育つ。
「まっすぐ」と聞いてどんなイメージが浮かぶでしょう。
この子にとっては「まっすぐ」とは少しも曲がることない定規のような直線だったのでしょう。
おばあちゃんの家を目指す男の子は「まっすぐ」という言葉を頼りに道路を進みます。
途中から田舎道になっても、とにかくまっすぐまっすぐ…
あれれ…道から外れちゃってる!
だって道が曲がってるんだもん。
男の子はちゃんとまっすぐ歩いています。
草っぱらになっても、小川があっても、小さな丘があっても、避けたりせずにひたすらまっすぐ進みます。
道から逸れたおかげで、お花や野イチゴ…いろいろなものに出会います。
表紙の男の子を見て「なんで裸足なの~!」と言っていたひめは、「ああ、それで裸足なんだね~」と納得。
次は何が起こるかな?ちゃんとおばあちゃんのお家に着けるかな?とめくるのが楽しく、ひめとちびも夢中になっていました。
林明子さんの絵は本当に子どもの表情がイキイキと描かれているので、私はハプニングに驚いて逃げる男の子の可愛さにメロメロでした。
まっすぐまっすぐ、と呪文のように唱えた男の子の冒険を受け止めた、結果オーライの最後のページも温かいです。
そう言えばカーナビは「道なりに」と言いますね。
子供にはおそらく通じないけど、端的な表現ってあるんだなぁ。
難しいことを誰にでもわかる簡単な言葉で。
賢い人は、それができる人だと思います。
「ママは同じこと何度も言うし、話が長いしわかりにくい」と悪評高い私。
伝わるように伝えることの大切さを噛み締めます。
でも、やっぱり子どもの勘違いってとっても可愛いから、わざと訂正しなかったりもします(笑)
この絵本もとっても可愛いです。皆さんも是非。
自分の名前で悩んだら読んでみて「わたしドーナツこ」
こんにちは。
子供たちの風邪、喘息、中耳炎、インフルエンザ疑惑…で余裕を失っていたくるみです。
時間がなかったわけじゃない。余裕がないと気持ちが切り替えられず、文章を書けない自分。根性と能力が足りない…少し落ち込みます。
さて。
みなさんは自分の名前、気に入っていますか?
「自分のものなのに他人の方がよく使うもの、なぁんだ?」
となぞなぞにもあるように、人に呼ばれることが大きな役目である名前。
愛を持ってたくさんの人に呼んでもらえますように、と親が付けてくれるたった1つの大切な名前。
けれど、子どもの頃は名前をネタにからかわれることも多いですよね。
軽い気持ちで言葉遊びのように悪口に使われることもしばしば。
親としては自分が付けた名前で子供が嫌な思いをするのは心が痛いです。
では、どんな名前なら、からかわれないのだろう…と考えてもわかりません。
どんな名前でもからかいの対象にはなり得ます。
凶悪犯や人気アイドルと同じ名前になるかもしれないし、何が起こるか未来はわかりません。
そもそも名字は簡単に変えられないわけだし。
それに、からかわれないようになんて、ネガティブな理由で名付けもしたくありませんよね。
からかわれるのなんて気にしないで自信を持って生きて行けば、名前の方が付いてきます。
ミュージシャンの名前なども、どんなに変わった名前でも音楽を認められれば、名前もかっこよく感じられるもの。
うん、でもそうは言ってもね。
子どもにとっては大問題なんですよね。
今日の絵本は、名前で悩む女の子のお話です。
1人じゃできないことも…
ドーナツ屋の一人娘どうなつこ。名前をからかわれるのが嫌で学校へ行くのが憂鬱で仕方ありません。「学校に行くくらいなら、本物のドーナツになって食べられてしまったほうがましよ。」と思ったなつこ。次の日起きると大変なことに!!ポップな絵と楽しいストーリーで子供の心情を描いた絵本です。
なつこは自分の名前について悩みます。
だって、本名が「どうなつこ」=「ドーナツこ」なんです!
ドーナツ屋の娘、どう なつこ。
親も思い切ったな、という名付けです。
なつこはからかわれるのを恐れ、学校に行くのを嫌がります。
もう自分なんて食べられていなくなってしまいたい!と思うくらい悩むのです。
子供の頃ってそうですよね。
大人になれば笑い飛ばせることも、とても大きなこととして迫ってきて、追い込まれていきます。
逃げる手段も知らないので、生きるか死ぬかの極論になりがちです。
なつこの心配はさらなる不運を呼ぶのですが、それでもなつこは学校に行きます。
行かないという選択肢はなかなか選べないのです。
そこまで読んで、同じ親としては切なさでいっぱいです。
なつこが親に相談できない歯がゆさ。
ドーナツ屋を営むくらいだからきっと両親はドーナツを愛し、誇りを持っているのでしょう。
なつこの名前も愛情を持って付けたのでしょう。
なつこが自分の名前を疎ましく思うことは、名前を付けてくれた親に抗議すること。
まあ、名前に限らず、こういうことってあるよなぁ、と思うのです。
親が良かれと思ってしたことが、子供の悩みにつながるようなこと。
親の愛情が子供にとって、必ずしも良い方向に働くとは限りませんよね。
さてさて、そんな「どうなつこ」ちゃん。
学校に行って、恐れていた通り、からかわれるのです…
ところが…
ひとりでは負けちゃうことも誰か1人仲間がいるだけで、勇気が出る不思議。
ホッとし、勇気をもらえる展開は現実にも有り得そうで、生きるヒントをもらえ、明るい未来を感じます。
ひめはドキドキハラハラしながらストーリーを楽しみ、ちびもたくさん出てくるドーナツの絵を喜んで眺めていました。
明るいポップな絵のおかげで、からかわれる場面も暗い気持ちにはならず、楽しく読めます。
大人でさえ、キラキラネームなど、異質と感じるものを揶揄したり、偏見で決めつけたり。
外からの攻撃にも負けず、どうなつこちゃんが「名前すぐ覚えてもらえてラッキー」なんて笑いながらドーナツも名前も大好きに育って欲しいな、と思う私です。
中身とは関係ないような、意外と中身を表しているような、名前という特別なもの。
自分の名前も人の名前も大切に扱いたいですね。
忘れていた子ども心で追体験「ゆきのひ」
こんにちは。
子供たちと今年の目標を考えていました。
私「あまりにできないことだと途中でやる気がなくなるから、頑張ったらできるかも!くらいのことがいいよ。」
子供たち「わかった」
私「ママは、怒った時でも恐い顔とか大きな声を出さないようにしたいな」
子供たち全員「できないことは目標にしちゃダメだよ!」
……いつも言い争っている子供たちの意見がぴったり揃いました。
理想と現実のギャップを見せつけられたくるみです。
さて。
今年も暖冬なのでしょうか。
そこまで寒くはない気がします。
冬といえば雪、と連想するひめは、雪を心待ちにしています。
「かまくらってどうやって作るの?作って中でこたつ入りたいな〜」
「学校でみんなで雪だるま作ったら、すっごく大きいのできるよね?」
などと、夢は広がるばかり。
かまくらは、東京ではなかなか難しいと思うよ…
でも、東京で近年大雪が降った年もありました。
あれは何年前だったでしょう?
降り慣れていないので、雪かきの道具も手袋もなくて大変だったことを覚えています。
今年は降るのかな?
お正月に帰省した長野では雪を見ました。
降っていたのは少しだけですが、子供たちは興奮して、わざわざ雪を触りに外に出ていました。
子供にとって、雪というのは魅惑の遊び道具。
粘土のように形を変えられて、積み木のように積むことができて、ボールのように投げられる、最高のおもちゃ。
大人になった今の私は、雪といえば、寒さと静けさ。
初めはきれいなのに、溶けてぐちゃぐちゃになり、薄汚くなるときの残念さ。
そして、交通手段を止め、外出しにくくする足かせのような存在にしか感じられません。
雪に心躍らせている子供たちを眺めていると、自分がどれほど大人になってしまったのかを知らされます。
私には、もう雪にときめく気持ちは微塵もありません。
大人になるにつれて得たものも多いけれど、実は気付かないまま失ってしまったものもあり、それは、思っている以上に多いのではないかと思うこの頃です。
今日は、雪の日を楽しむことができた子供の頃の気持ちを少し取り戻せる絵本です。
感情は描かれていないのに
冬のある朝、目を覚ましたピーターが窓の外を見ると、夜中降った雪が積もっていました。ピーターは外へ飛び出し、思い浮かんだことを次々と実行していきます。雪に心躍るピーターの1日を一緒に体感できる絵本です。
ドアを開けたら、真っ白な一面の雪!
そんな時。
さあ、まずは何をするでしょう?
そう!
絶対、足跡をつけます!(よね?)
何の跡もついていないきれいな雪に足を差し出す瞬間、ザッと雪に沈む足の感触、自分が歩いた分だけへこんだ雪の跡を眺める時。
ワクワクします。
ピーターも足跡を付けて行きます。
つまさきを そとへむけて あるいたり、
また、つまさきを なかへむけて あるいたりした。
内股、がに股、って。
ピーター、ナイス好奇心!
次に、ピーターは両足を引きずって歩いてみます。
ああ!わかる!傘なんかも引きずりたくなるよね。
そんな感じで物語は進んでいきます。
ピーターは雪を見て、やってみたいことを次々と体験していきます。
それを読んで、私達自身も同じように雪と遊んでいるような気持ちになってきます。
物語では、ピーターの細かい表情や感情は出てくることはなく、淡々と描かれているのですが、雪をポケットに大切にしまう様子や帰ってからお母さんに一部始終を報告することからピーターがどんなに楽しかったかがよくわかります。
お風呂でもピーターは何回も何回も雪で遊んだ一日を思い出しています。
ひめはポケットに入れた雪が溶けて、ピーターががっかりするのではないかと心配していました。
ひめは、ストーリーの途中で心配事があるとそればかりが気になってしまうようです。
それにしても、なぜでしょう。
この淡々とした文章と、静かな優しい色彩の絵で、どうしてこんなに嬉しさ、楽しさ、驚き、ワクワク、がっかりが伝わってくるのでしょう。
忘れていた記憶の中の私自身の雪の日の経験と重なるからなのか。
具体的な描写がない方が想像が膨らむからなのか。
この余韻。この余白。
心の奥に深く届きます。
読み継がれるだけあるなぁと思う1冊でした。
みなさまもぜひ!
気にかけてもらう嬉しさ「おきゃく、おことわり?」
昨年、このブログを読んで下さったすべての方々、本当にありがとうございました。
更新しないうちに今年ももう8日じゃないか!…というゆるりとしたブログですが、ぼちぼち続けていきたいと思っておりますので、本年もどうぞよろしくお願いします。
2020年、始まりましたね。
にーさん、ひめ、ちびはみんなオリンピックイヤー生まれの4才違いですが、今年は産まないくるみです。
ところで、みなさんは雑談が得意ですか?
私はとても苦手です。
子供のつながりで出会うママさん(いわゆるママ友)との会話があまり弾まず、沈黙に冷や汗流すこともしばしばなのです。
最近はもう開き直っていて、できない自分に呆れる、もう一人の自分の存在を感じます。
会話中に「また話せてないなぁ」と冷静に分析する第2の私がいるのです。
そんな第2の私の分析によると、どこまでプライバシーに踏み込んでいいのかわからない問題、が大きな原因の1つです。
相手が仕事の話をしている時に「何の仕事をしてるの?」と聞けなかったり、「好きなアーティストがいて」という時に「誰のファンなの?」と聞けなかったり。
親しい友達の場合はいちいち考えなくても質問するかどうかなど無意識に判断できるのですが、ママ友くらいの距離感だとどこまで聞いていいのか躊躇してしまいます。
相手が具体的に話さないことを、こちらから聞くのは踏み込み過ぎかなと思って聞かないでいると、コメントも当たり障りないことになって、浅〜い会話で終了。
相手と仲良くなりたい!、相手のことを知りたい!という気持ちを持てば、自然と少し踏み込むことも必要かな、とは思うのですが、加減がわからず…
今日の絵本は、今年の干支、ネズミの出てくるお話。少し踏み込むことが、仲良くなる秘訣かも、と思わせられる1冊です。
気にかけてもらう嬉しさ
「おきゃく、おことわり」と貼り紙をしたクマの家にネズミがやってきました。クマは貼り紙を指し示し、断ります。ところが、ネズミは諦めず、何度追い出されてもクマの家に侵入し…。大きなクマと小さなネズミの組み合わせがとっても可愛い絵本です。
クマはお客のネズミを門前払いします。
それでもめげずに何度も勝手に侵入して部屋の中のどこかに隠れているネズミと、ネズミを見つけては追い出すクマのやり取りが面白く、ひめは「またどこかに隠れてるのかな」とワクワクし、釘付けになっていました。
とうとう穴という穴を塞ぎ、完全に戸締まりをしてしまったクマ。
もうネズミは隠れていないかも…?
ネタバレになってしまいますが。
ネズミはそれでも部屋の中に忍び込んでいるのです。
見つけて驚き、根負けしたクマはネズミに屈服し、ネズミのしたいことをしてあげます。
ネズミのしたいこと、それは一緒にお茶を飲むこと。
ネズミとお茶の時間を過ごしたクマは、相手に気にかけてもらうことや話を聞いてもらうことの喜びの大きさに気付くのです。
こんなに きにかけて もらったのは、 うまれてはじめてです。
クマがこんなにも幸せな気持ちになったのは、ネズミの図々しさがあってこそ。
気にかけてもらうのって本当に嬉しいもの。
やはり、相手のエリアに踏み込むことは仲良くなる近道と言えそうです。
けれど、その後のネズミの引き際の見事さを読んで、ネズミの駆け引きの上手さに尋常ではないものを感じます。
これはこのネズミだからできた技なのかもしれません。
思い返せば、追い出された時のネズミの寂しそうな姿の可愛いことといったら!
小悪魔的なネズミです。
真似できる気がしません。
相手に踏み込むのも、やる人ややり方によってはストーカーや嫌がらせにも感じられるわけだし、結局どうしたらいいのか…
と、私の雑談力は一向に上がらないのでした。
小悪魔ネズミにしてやられた感はあるけれど、仲良しになった凸凹コンビに温かい気持ちになります。
今年はネズミ年。
このネズミのようにたくさんの人と仲良くなりたいな。
今ある幸せとここではないどこかへの憧れ「もみの木」
こんにちは。
にーさんはクリスマスプレゼントでボードゲームをもらったのですが、早速やりたくて、2人の妹を懸命に誘っています。
対象年齢8才以上のゲームは、いくらなんでも3才には無理じゃないか、と思うくるみです。
本人はやる気まんまんで参加していました。
さて。
子供が小さいので児童書コーナーに行くことが多く、自分が子供の頃に読んだ本と再会することも多いのですが、思い出すのは悲しい話ばかりです。
まだ自分では読めない頃に、よく読んでもらった「ひとりぼっちのこねこ」という絵本は、親と離れて土管の中で泣く子猫が主役の、いたたまれないお話だったと思います。
ラストも希望なく終わってしまった気が…。
読むたびに泣いていたそうです。
(もっと明るい本を買ってよ、お母さん!そしたらもっと楽観的で明るい子になったんじゃないか?なんて逆恨みしつつ(笑))
今日の絵本も寂しいラストにしんみりしてしまいますが、クリスマス飾りの片付けの合間にふと読みたくなる絵本です。
今ある幸せとここではないどこかへの憧れ
森の中で小さなもみの木は早く大きくなりたいと願っています。すずめからクリスマスの話を聞き、クリスマスツリーに憧れるもみの木でしたが…深い余韻を感じさせてくれる絵本です。
もみの木は、立派なクリスマスツリーになることを夢見ています。
けれど、クリスマスツリー用に切り倒されたら、もうあとは枯れていくだけ。
それを知らないもみの木はクリスマスに飾られて喜び、最高の幸せを感じ、自分がまた飾られる日がくると信じています。
現実は、願いも空しく薪にされてしまうのです。
多くの大人の読者は、きっと、もみの木の一生に人の一生を重ね合わせるのではないかと思います。
もみの木に風がささやきます。
いまは こんなに いいときなのに。
どうして おまえは きがつかないの?
今に満足せず、ここではないどこかを夢見るもみの木。
大きくなること。
飾られること。
そればかりを願い、見せかけの栄光に踊らされたようにも見えます。
その願いが叶って、命短いもみの木は幸せだったのでしょうか。
それとも、こんなことならクリスマスツリーなんかにならなければ良かったと思ったでしょうか。
もみの木の中で、最期までクリスマスの思い出は輝いています。
ひと時でもそのような輝いた時間を得た一生は幸せだとも言えます。
現状に幸せを感じること、日常の中の幸せを探すことはとても大切です。
一方で、未来を夢見ることも大切です。
この2つを共存させることは実は難しいことではないかと思うのです。
「現状に満足するな」というのは向上心を育てる決まり文句ですよね。未来を夢見て挑戦する気持ちも大切です。
けれど、ただただ憧れだけで未来に希望を求めると目の前の幸せを取りこぼしてしまう。
何事もバランスが大事です。
ひめは私に似て、涙もろいので、ラストに驚き、「え?これで終わっちゃうの?」と涙を浮かべていました。
そして、「この本、すきじゃない」と。
私はというと、この絵本、とても好きなのです。
儚さや一瞬の輝きというものに弱いのかもしれません。
そういえば!とアンデルセンの童話を思い出してみると…
「スズの兵隊」「人魚姫」「マッチ売りの少女」。
子供の頃に読んで鮮烈に覚えているものばかり。
燃やされる兵隊、泡になる人魚、凍え死ぬ少女。
もみの木と通ずるものがあります。
ひと時の幸せと引換えに命を失い、もみの木と同じく、苦しむのではなく、楽しかった思い出、輝いていた思い出を胸に消えていくのです。
子供ながらに、根拠のないハッピーエンドよりも、不運の中でも気持ち次第で温かい気持ちになれるということの方にリアリティを感じたのかもしれません。
いまは こんなに いいときなのに
これは日々育児でも感じることです。
気付いてるんだけど、時は容赦なくさらさらと流れていきます。
取りこぼさないように、今は今で精一杯幸せを掬いながら、よりよい明日を夢見れたら…
そんなことを考えさせられる絵本です。
表紙にもなっている光を浴びたもみの木のページも好きです。
みなさまもぜひ。