3つのたねに絵本の水を

日々思ったこと、子育てエピソードと共に、3人の子供たち(にーさん(中1)ひめ(小3)ちび(年中))に読み聞かせた絵本を1冊ずつ紹介しています。

気にかけてもらう嬉しさ「おきゃく、おことわり?」

昨年、このブログを読んで下さったすべての方々、本当にありがとうございました。

 

更新しないうちに今年ももう8日じゃないか!…というゆるりとしたブログですが、ぼちぼち続けていきたいと思っておりますので、本年もどうぞよろしくお願いします。

 

2020年、始まりましたね。

にーさん、ひめ、ちびはみんなオリンピックイヤー生まれの4才違いですが、今年は産まないくるみです。

 

ところで、みなさんは雑談が得意ですか?

 

私はとても苦手です。

子供のつながりで出会うママさん(いわゆるママ友)との会話があまり弾まず、沈黙に冷や汗流すこともしばしばなのです。

 

最近はもう開き直っていて、できない自分に呆れる、もう一人の自分の存在を感じます。

会話中に「また話せてないなぁ」と冷静に分析する第2の私がいるのです。

 

そんな第2の私の分析によると、どこまでプライバシーに踏み込んでいいのかわからない問題、が大きな原因の1つです。

 

相手が仕事の話をしている時に「何の仕事をしてるの?」と聞けなかったり、「好きなアーティストがいて」という時に「誰のファンなの?」と聞けなかったり。

 

親しい友達の場合はいちいち考えなくても質問するかどうかなど無意識に判断できるのですが、ママ友くらいの距離感だとどこまで聞いていいのか躊躇してしまいます。

 

相手が具体的に話さないことを、こちらから聞くのは踏み込み過ぎかなと思って聞かないでいると、コメントも当たり障りないことになって、浅〜い会話で終了。

 

相手と仲良くなりたい!、相手のことを知りたい!という気持ちを持てば、自然と少し踏み込むことも必要かな、とは思うのですが、加減がわからず…

 

今日の絵本は、今年の干支、ネズミの出てくるお話。少し踏み込むことが、仲良くなる秘訣かも、と思わせられる1冊です。

 

気にかけてもらう嬉しさ

「おきゃく、おことわり」と貼り紙をしたクマの家にネズミがやってきました。クマは貼り紙を指し示し、断ります。ところが、ネズミは諦めず、何度追い出されてもクマの家に侵入し…。大きなクマと小さなネズミの組み合わせがとっても可愛い絵本です。

 

クマはお客のネズミを門前払いします。

それでもめげずに何度も勝手に侵入して部屋の中のどこかに隠れているネズミと、ネズミを見つけては追い出すクマのやり取りが面白く、ひめは「またどこかに隠れてるのかな」とワクワクし、釘付けになっていました。

 

とうとう穴という穴を塞ぎ、完全に戸締まりをしてしまったクマ。

もうネズミは隠れていないかも…?

 

ネタバレになってしまいますが。

 

 

 

ネズミはそれでも部屋の中に忍び込んでいるのです。

見つけて驚き、根負けしたクマはネズミに屈服し、ネズミのしたいことをしてあげます。

 

ネズミのしたいこと、それは一緒にお茶を飲むこと。

 

ネズミとお茶の時間を過ごしたクマは、相手に気にかけてもらうことや話を聞いてもらうことの喜びの大きさに気付くのです。

 

こんなに きにかけて もらったのは、 うまれてはじめてです。 

 

クマがこんなにも幸せな気持ちになったのは、ネズミの図々しさがあってこそ。

気にかけてもらうのって本当に嬉しいもの。

やはり、相手のエリアに踏み込むことは仲良くなる近道と言えそうです。

 

けれど、その後のネズミの引き際の見事さを読んで、ネズミの駆け引きの上手さに尋常ではないものを感じます。

これはこのネズミだからできた技なのかもしれません。

思い返せば、追い出された時のネズミの寂しそうな姿の可愛いことといったら!

小悪魔的なネズミです。

真似できる気がしません。

 

相手に踏み込むのも、やる人ややり方によってはストーカーや嫌がらせにも感じられるわけだし、結局どうしたらいいのか…

 

と、私の雑談力は一向に上がらないのでした。

 

小悪魔ネズミにしてやられた感はあるけれど、仲良しになった凸凹コンビに温かい気持ちになります。

 

今年はネズミ年。

このネズミのようにたくさんの人と仲良くなりたいな。

おきゃく、おことわり?

おきゃく、おことわり?

 

 

今ある幸せとここではないどこかへの憧れ「もみの木」

こんにちは。

にーさんはクリスマスプレゼントでボードゲームをもらったのですが、早速やりたくて、2人の妹を懸命に誘っています。

対象年齢8才以上のゲームは、いくらなんでも3才には無理じゃないか、と思うくるみです。

本人はやる気まんまんで参加していました。

 

さて。

子供が小さいので児童書コーナーに行くことが多く、自分が子供の頃に読んだ本と再会することも多いのですが、思い出すのは悲しい話ばかりです。

 

まだ自分では読めない頃に、よく読んでもらった「ひとりぼっちのこねこ」という絵本は、親と離れて土管の中で泣く子猫が主役の、いたたまれないお話だったと思います。

ラストも希望なく終わってしまった気が…。

読むたびに泣いていたそうです。

(もっと明るい本を買ってよ、お母さん!そしたらもっと楽観的で明るい子になったんじゃないか?なんて逆恨みしつつ(笑))

 

今日の絵本も寂しいラストにしんみりしてしまいますが、クリスマス飾りの片付けの合間にふと読みたくなる絵本です。

 

今ある幸せとここではないどこかへの憧れ

森の中で小さなもみの木は早く大きくなりたいと願っています。すずめからクリスマスの話を聞き、クリスマスツリーに憧れるもみの木でしたが…深い余韻を感じさせてくれる絵本です。

 

もみの木は、立派なクリスマスツリーになることを夢見ています。

けれど、クリスマスツリー用に切り倒されたら、もうあとは枯れていくだけ。

それを知らないもみの木はクリスマスに飾られて喜び、最高の幸せを感じ、自分がまた飾られる日がくると信じています。

現実は、願いも空しく薪にされてしまうのです。

 

多くの大人の読者は、きっと、もみの木の一生に人の一生を重ね合わせるのではないかと思います。

 

もみの木に風がささやきます。

いまは こんなに いいときなのに。

どうして おまえは きがつかないの?

 

今に満足せず、ここではないどこかを夢見るもみの木。

大きくなること。

飾られること。

そればかりを願い、見せかけの栄光に踊らされたようにも見えます。

 

その願いが叶って、命短いもみの木は幸せだったのでしょうか。

それとも、こんなことならクリスマスツリーなんかにならなければ良かったと思ったでしょうか。

 

もみの木の中で、最期までクリスマスの思い出は輝いています。

ひと時でもそのような輝いた時間を得た一生は幸せだとも言えます。

 

現状に幸せを感じること、日常の中の幸せを探すことはとても大切です。

 

一方で、未来を夢見ることも大切です。

 

この2つを共存させることは実は難しいことではないかと思うのです。

 

「現状に満足するな」というのは向上心を育てる決まり文句ですよね。未来を夢見て挑戦する気持ちも大切です。

けれど、ただただ憧れだけで未来に希望を求めると目の前の幸せを取りこぼしてしまう。

何事もバランスが大事です。

 

ひめは私に似て、涙もろいので、ラストに驚き、「え?これで終わっちゃうの?」と涙を浮かべていました。

そして、「この本、すきじゃない」と。

 

私はというと、この絵本、とても好きなのです。

儚さや一瞬の輝きというものに弱いのかもしれません。

 

そういえば!とアンデルセンの童話を思い出してみると…

「スズの兵隊」「人魚姫」「マッチ売りの少女」。

子供の頃に読んで鮮烈に覚えているものばかり。

燃やされる兵隊、泡になる人魚、凍え死ぬ少女。

もみの木と通ずるものがあります。

ひと時の幸せと引換えに命を失い、もみの木と同じく、苦しむのではなく、楽しかった思い出、輝いていた思い出を胸に消えていくのです。

 

子供ながらに、根拠のないハッピーエンドよりも、不運の中でも気持ち次第で温かい気持ちになれるということの方にリアリティを感じたのかもしれません。

 

いまは こんなに いいときなのに

これは日々育児でも感じることです。

気付いてるんだけど、時は容赦なくさらさらと流れていきます。

取りこぼさないように、今は今で精一杯幸せを掬いながら、よりよい明日を夢見れたら…

そんなことを考えさせられる絵本です。

 

表紙にもなっている光を浴びたもみの木のページも好きです。

みなさまもぜひ。

もみのき (アンデルセンのえほん)

もみのき (アンデルセンのえほん)

 

 

 

クリスマスにおすすめの絵本「となかいはなぜサンタのそりをひく?」

こんにちは。

忙しなく過ごす年末、いかがお過ごしでしょうか。

今年中にやるべきこと、やりたいことが多すぎて、時間がいくらあっても足りません。

「ああ、時間がないよぉ!」と言った私に、「〇〇ちゃん(ちび)は、じかんあるから、あげるよ。はいどうぞ」とくれたちび。

ありがたく受け取ったふりをしていたら、しばらくして、「〇〇ちゃんがあげたじかん、もうつかった?」と聞かれ、返答に詰まってしまったくるみです。

 

さて。

今年ももう少しでクリスマス。

子どもたちはワクワクドキドキ、待ち遠しく過ごしています。

サンタさんからのプレゼントを心待ちしている我が子たちです。

 

今更ですが、サンタさんって不思議な存在ですよね。

遠い国から来る、という微妙な距離感。

白いひげで全身赤。

さらには、トナカイにひかれた空飛ぶそりに乗っている…

トナカイなんて実物は見たことないし。

 

改めて考えると謎が多すぎて、よくもここまで流行ったなぁと思います。

 

謎が多いから逆に信じられるのかなぁ。

 

例えば、トナカイに馴染みがあって、サンタクロースという名前も身近に感じる国に住んでいる子はどんな印象なのでしょう?

 

日本で言い換えると「牛が引くそりに乗った布袋さま」とかになるのかな?

それはそれで日本の空を飛びそう。信じられる気もします。

 

たくさんあるサンタさんの謎の中でも、サンタさんはなぜトナカイとペアを組んでいるのか、そんな疑問に答えてくれる絵本があったので、紹介します。

 

選ばれしもの、トナカイ

歩いて配ることに限界を感じたサンタクロースに、小人たちは空飛ぶ魔法のそりを作ってあげました。喜んだサンタクロースはそりを引いてくれる動物を募集することにしましたが…たくさんの動物の登場が楽しいクリスマス絵本です。

 

干支の順番の由来や人参と大根とごぼうの色の由来など、由来をこじつけた(言い方が悪い!)寓話ってありますよね。

 

想像力で現実世界を見る視点に夢があって、私は好きなジャンルです。

 

この絵本もそんなお話の1つです。

 

サンタクロースが募集したそり引きの仕事に、いろいろな動物が立候補します。

けれど、象は重すぎて屋根を壊してしまい、

犬は高所恐怖症でダメ、カンガルーは…

試しにそりを引いてみると、どの動物も様々な理由で向いていないことがわかるのです。

 

美しい真面目なタッチの絵の感じ(主観です)で、そり引きに失敗する様子を描いているのが面白く、とても魅力的に感じました。

その辺のコンビニに貼ってあるようなアルバイト募集のように、気軽にそり引きを募集しちゃうサンタクロースのキャラクターも素敵です。

 

ひめはどこからどこまで作り話と思っているのか、聞き入っていました。

 

意外と、難しいそり引きの仕事。

数ある動物の中で、トナカイは選ばれしものだったんですね。

 

個人的には、積極的な志望理由でないのが気になりました(笑)

 

明日はもうクリスマスイブ。

夜にはサンタさんのお眼鏡にかなったトナカイがそりを引いてくるんですね。

義理堅いトナカイの姿を思い浮かべながら、2019年のクリスマスイブの夜を過ごしたいと思います。

メリークリスマス!

となかいはなぜサンタのそりをひく? (大型絵本)

となかいはなぜサンタのそりをひく? (大型絵本)

 

 

イライラは人の損ならず「ぶん ぶん ぶるるん」

こんにちは。

風邪をきっかけに、また体調不良が続いてしまったくるみです。

 

身体の調子が悪いと、なかなかブログが更新できません。

調子に左右されずに出力できる人になりたいです。

誰かコツを教えて下さい。

(ただただ根性が足りないのか…?)

 

そんな私にも主婦の仕事は容赦なく降りかかってきます。

ウォーキングして帰ってきたら、洗濯機を回し、朝ご飯の用意、早起きのちびのお世話と、休日も寝てはいられません。

 

先週の日曜日。

朝の仕事を終えて、ちょっと休憩、お茶を飲んでいたとき。

ひめに、「なんで何もしてないの?パパは働いてるよ〜」と言われました。

 

確かにその時夫は息子の習い事の雑事をしてくれていたのですが、いやいや、待ってよ、ママは朝早く起きて結構働いたんだよ…と訴えながらなんだか泣きたくなってしまいました。

何気なく悪気もない無邪気な子どもの発言。

だからこそ垣間見えた本音。

 

主婦の仕事って全然働いてるように見えないのだろうか?

 

それから、なんだかイライラ。

認めてもらえていないイライラ。

 

もやもや、イライラが消えず、八つ当たり先はもちろん夫(苦笑)。

置かれたままのゴミについて、必要以上に嫌な口調で、

「すぐに捨ててよ、いつもこうやって置きっぱなしにして誰が捨てると思ってるの!」と。

 

言われた夫もイライラ。

夫の八つ当たり先は息子。  

 ひめをからかって泣かせるにーさんに、

「やめろって言ってるだろ!」と。

 

言われたにーさんもイライラ。

余計にひめをいじめます。

 

そして、ひめも…

 

ああ、私のイライラがみんなに伝染してしまった…反省。

そんな我が家のようなストーリーの絵本があるので、今日はその絵本を紹介します。

 

イライラは消えない

蜜蜂がやってきて雄牛を刺した。刺された雄牛は驚いて跳ね回り、そのせいで雌牛はご機嫌斜め。農家のおばさんを蹴飛ばした。蹴られたおばさんはおじさんにがみがみ八つ当たり。イライラはどんどん感染して終わらない。最後には…!テンポ良く読める文とどんどん進む場面が楽しい絵本です。

 

蜜蜂が、ぶん ぶん ぶるるんと飛んできて、雄牛を刺します。

 

そこから全ては始まります。

驚き、イライラ、暴力はどんどん周囲に伝染していきます。

 

ほうらおばさんおこったぞ。 おうちでがみがみやつあたり。 

などと、文章のリズムが良く、スーパーマリオのように右にどんどんスクロールして場面が変わるような展開はとても読みやすく、子どもにもわかりやすく楽しめます。

動物たちの怒ってる表情も面白く、イライラって客観的に見るとわりに滑稽だなぁと思ったりしました。

 

そうそう、このストーリーはまさに日曜日の我が家。

イライラは伝染していくのです。

どこにも消化されないイライラは、またまた回ってくると想像できるストーリーが秀逸です。

 

イライラを初めに発信してしまうことが多い私ですが、そんなことしてるといずれは自分に返ってくるぞ、ということです。

発信しないのはもちろん、できれば自分のところで止められるくらいの大きな器を持ちたいものです。

 

…と短気の私は、情けは人のためならず。的な教訓を受け取りましたが、そんな真面目な解釈など抜きで、リズミカルで楽しく、エンドレスなストーリーに何度も読んで楽しめる絵本です。

みなさんも是非。

ぶん ぶん ぶるるん (ほるぷ海外秀作絵本)

ぶん ぶん ぶるるん (ほるぷ海外秀作絵本)

 

 

誘惑と闘え!「どうするジョージ!」

こんにちは。

「『大丈夫?』って聞かれて『大丈夫じゃない』って答えるのはお母さんだけだよ」とにーさんに言われて苦笑した、すぐ弱音を吐いてしまうくるみです。

 

日曜日のこと。

昼ごはんの片付けも終わり、にーさんは1人でゲーム、夫が娘2人と図書館に行ってくれて、これはチャンス!やりたいことが出来る!

溜まっている読書、ほぼ日手帳の記入、ブログ更新、作り途中の手芸、やりたいことは山ほどあって、今こそやる時!

 

でも…

 

なんだかだるいし、眠いなぁ。

誰にも邪魔されず昼寝ができるチャンスでもあるな。

いやいや、今寝ると夜も眠れなくなって明日の朝早起きできないぞ。

それにせっかくの貴重な自由時間を有意義に使わないと。

でも、たまには昼寝ぐらいしてもいいよね、と言い訳をしてソファにごろり。

誘惑に負けてしまったのでした。

 

そんな感じで誘惑に負けてしまうことってたくさんあります。

ダイエット、勉強、片付け…を邪魔する誘惑たち。

寒くなってきた今は、早起きなんかも温かい布団の誘惑との闘いです。

 

今日の絵本は誘惑と闘う犬のお話です。

いつだっていいこでいたい

出掛けるハリスに「いいこにしていられるかい?」と聞かれ、「もちろん」と答えた犬のジョージ。そんなジョージの目の前に、ケーキ、ねこ、花。次々と誘惑が…。どうするジョージ!ジョージの動向に夢中になれる絵本です。

 

ぼくは いつでも いいこだよ。

いいこじゃなかったことなんて あったかな

 

という自信満々のジョージ。

そんなに自信あるなら、勝手にケーキ食べないよね?

ねこも追いかけないよね?

花の根っこ掘ったりもしないよね?

誘惑が現れる度、表紙と同じジョージのアップに

 

どうするジョージ!

 

の文句。問われるジョージの何とも言えない困ったようなとぼけた表情が良いです。

最初は驚き、次は薄々予想でき、最後には確信してめくるページはどれも楽しく、子どもたちは「えー!」「やっぱりー!」といい反応で聞いていました。

 

そして物語の最後はゴミ箱見つけたジョージに「どうするジョージ!」と問いかけて終わります。

それぞれが想像できる余白を与えてくれています。

ジョージどうしたかなぁ?

ひめは「ジョージはひっくり返しちゃったと思うな」と言っていました。

私もそう思いました(笑)

みなさんも読んで想像してみて下さい。

 

いいこでいたい。でもやりたいこともやりたい。

そんなジョージの姿に、子育て中の方は子どもを重ねてみるかもしれません。

 

やりたい放題に見える子どもだって、親を喜ばせるようないい子でいたいのが本当の気持ちなのでは?

でも、求められることが楽しいことというわけではないから、どうしても誘惑が勝っちゃう。

 

 

大人だって誘惑に負けちゃうんだもん。

子どもだって、犬だって。

 

裏表紙でジョージを抱きしめるハリス。

そう、いいこだっていいこじゃなくたって大切な存在であることは変わりません。

(まあ、できれば家はめちゃくちゃにされたくないけど…(笑))

 

絵は朱色や紫が多めの色遣いで、おしゃれなイラストのようです。

 

子供たちは、緑の顔の小さなハリスが飼い主に見えなかったようで、「これは誰?ネズミ?」と聞いていました。

確かにちょっと人間には見えないかも。

でも、そこはおしゃれなテイストに免じて目をつぶりましょう。

グッズなど作ったら人気が出そうな可愛い絵です。

 

みなさんもぜひ!

どうするジョージ!

どうするジョージ!

 

 

白菜の花、見たことありますか?「ちいさなはくさい」

こんにちは。

気温差に翻弄されるくるみです。

 

昨日はとても暖かかったですが、今週末は冷え込むそうで、いよいよ、冷え性の私には厳しい季節の到来です。

年々温かいものが心から美味しく感じられます。

中でもここ数年、愛するのはお鍋料理です。

なんたって温かい。そして、簡単。野菜いっぱい。献立に迷わないですむ。

水炊き、キムチ鍋、坦々鍋、いろんな味を選べば飽きることもありません。

 

そんな私も子どもの頃は、お鍋が好きではありませんでした。

くたくたの野菜を柑橘系の匂いがする醤油(ポン酢)で頂く、なんだか地味な魅力のない食べ物。

ただ、最後の美味しい雑炊のためだけに頑張って食べる、という食べ物でした。

 

我が家の子供たちはお鍋が大好きです。

というのも、〆の中華麺を最初から投入し、もはやラーメンだから。

ラーメンの勢いで嫌いな野菜も少しは食べてくれます。

 

お鍋と言えば、白菜。この時期美味しくなりますよね。

年を追うごとに好きになっている野菜の1つです。

乾燥してカサカサの体に、茎のみずみずしさが沁み渡る気がします。

 

ところで、白菜のお花、見たことありますか?

私は…ありません。

ちょっと待って、キャベツ、ホウレンソウ、小松菜…

葉物野菜の花を私は見たことがないかもしれません。

 

そんな驚きの事実に気付かされた絵本を紹介します。

 

食べられる部分しか知らない…

丘の上にぽつんと立っている柿の木とそばにある畑。今年の畑には白菜が植えられました。だんだん大きくなる白菜の中、少し外れた所に小さな白菜が1つ。柿の木が見守る下で、収穫されず残された小さな白菜は…。季節の移ろいとともに野菜が育っていく様を観察できる絵本です。

 

周りの白菜より少し小さい白菜は、小さいが故に収穫されずに冬を越し、春を迎えます。

そばの柿の木が白菜の知らないことを優しく教えてあげる様子が温かいです。

また、収穫されることが白菜の悲劇として描かれているわけでもなく、農家の男性の優しい姿が印象的で、日本のどこかでこんな場面が本当にあるといいなと思わせてくれる物語です。

 

日頃、スーパーでたくさんの野菜を見ると、これだけたくさんの野菜が誰かの手で土から育てられたことに圧倒させられます。

まだみずみずしく、色鮮やかな野菜たち。

 

自分の手を汚すことなく、たくさんの野菜を食べることができて、本当にありがたいです。

 

その気持ちを胸に、感謝して大切に食べなくては!

例えば大根の葉をたべたり皮をきんぴらにしたり、ブロッコリの芯やキャベツの外葉まで使って料理をしたり。

今までは、そんな風に全てを無駄にせずに食べることが野菜の命を全うさせてあげることだと思っていました。

 

でも、植物としての野菜の命は本当はその先もあるのですよね。

 

白菜は収穫しなければ春に花を咲かせる。

多分他の野菜も。 

 

人は植物の食べやすい部分、好む部分を時期を見て収穫しているだけで、根や葉っぱ、花、茎、実をそれぞれが持っているんだよなぁ。

と欠けていた視点に気付かされました。

 

ひめも「白菜って花が咲くんだね」と言い、同じくらいの温度で、「ほんとだねぇ」と返したのでした。

 

切り身が泳いでると思っている子がいる、という話を、全然笑えないなぁと思った私です。

 

今日もそんな白菜をスープにたっぷり入れました。

白菜さん、花咲かせることできなくてごめんね。

感謝して、美味しくいただきます!

ちいさなはくさい (にじいろえほん)

ちいさなはくさい (にじいろえほん)

 

 

心を元気にするには?「心ってどこにあるのでしょう?」

こんにちは。

早朝に布団から出るのが辛くなってきたくるみです。寒くなりましたね。

 

言おうと思った言葉を思い出せないとき、「この辺まで出てきてるのに」と喉あたりを指すこと、ありませんか?

頭の中で考えているのだから、声とは関係ないはずなのに。

 

ひめと話しているとその辺の感覚について面白いな、と思うことがよくあります。

ひめは頭の中に袋のようにいろいろが入っているイメージらしく、

「ちょっと待って。今ここ(頭)に探しにいくから。」(何かを思い出すとき)

「楽しい思い出がここ(頭)にきて、眠いのがぴゅってどっかに行っちゃった」(過去の話で盛り上がって眠気が飛んだとき)

などと頭を指さして言います。

 

手が冷たいものを触った時、冷たいのは手。冷たいと思うのは頭。「冷たい」というのは口。

そして、冷たいのは嫌だなぁとか、冷たくて気持ちいいと思うのは…こころ?

 

心って何?どこにあるのでしょう?

 

心はどこにあるのでしょう?

心ってどこにあると思う?胸かな…?好きな人の前だったり恥ずかしくなったりすると赤くなるのはどこ?嫌なことがあると痛くなるのは?いったい心ってどこにあるんだろう?可愛い動物たちも登場して親しみやすく、優しい言葉で身近な不思議を考えられる絵本です。

 

心を思うとき、心臓あたりを思い浮かべる人が多いと思います。

心臓の「しん」は心だし。

ドキドキしたり、バクバクしたり、体の真ん中にある大事な特別な場所という感じ。

 

でも、改めて考えてみると不思議です。

嬉しくて変化があるのは鼓動だけじゃありません。

ほっぺが赤くなったり、顔はにこにこ、頭の中はスッキリ。

悲しかったり辛いと、お腹が痛くなったり、涙が出たり。

 

動物たちだって,しっぽを振ったり、鼻をぴくぴく動かしたり、耳を垂らしたり。

 

たしかになぁ。心って胸にあるわけじゃないのかも。

この絵本を読んでいるとそんな気になってきます。

 

ひめは、読んでいる間中「何言ってるの、心はここにあるんだよね〜」と言って胸に手を当てていました。

頑なに信じて疑っていない様子でした。

どうしてだろう…

 

私は、というと、前述の通り、なんだか心のイメージが揺らいできたのでした。

心臓が体中張り巡らされている血管で身体と繋がっているように、心も胸にあって、身体とコードで繋がっているイメージだったのです。

胸に主電源があって、切れたら全部が暗くなるという感じ。

 

でも、心は身体中いろいろなところに単独に複数存在しているのかもしれません。

主電源などなく、カチっと付ければ1ヶ所だけ付けることができるランタンのような明かり。

 

そう思って、ふいに腑に落ちたことがありました。

 

今までずっと、落ち込んでいる人を元気付けようとするとき、もしくは自分がひどく落ち込んだとき、心の深いところに届くことをしなければと思っていました。主電源をつけなければ、と。

 

心に届くこと、とは、癒される音楽だったり、温かい言葉だったり、見守る姿勢だったり、きっと目に見えない、形のない何か。

誠心誠意尽くせば主電源に手が届くはず。

 

そして、度々失敗しては自分の無力さに落ち込んでいました。

 

心に届くなんて難し過ぎるのです。

真っ暗な家の中に入って、いくつもの部屋を通って主電源を付けに行くのなんて、困難です。

 

そうではなくて、とにかく、どこかの部屋を明るくすることがいい方法なのかもしれません。

 

無理やりにでも笑うと楽しくなる、という理論に、そんなのその場凌ぎじゃないかと懐疑的だったのですが、心がいろいろなところにあるというイメージを持つとすんなり納得、腑に落ちたのです。

 

根本の改善がなされてなくても、1ヶ所明かりが付くだけで元気になることってあるかもしれない。

むしろ、それはとても実践的で、最善の方法ではないでしょうか。

 

入り口から1番近い部屋に入ってカチっと、スイッチを入れるだけ。

その部屋は確実に明るくなるし、部屋の明かりが洩れて、隣の部屋も、奥の部屋も明るくなるかもしれない。

 

楽しくて笑うように、笑えば楽しくなる。

嬉しくって抱き合うように、抱き合えば嬉しくなる。

ご機嫌で鼻歌を歌うように、鼻歌を歌えばご機嫌になる。

安堵のため息のように、深く息をすれば安心する。

 

そういえば、にーさんが不安定なとき、1日1回抱きしめることで落ち着いたことがありました。

 

絵本から少し離れた話になり恐縮ですが、個人的にはっとした発見だったので記録しておきます。

 

みなさんもぜひ。心について何か新しい発見ができるかも!?

心ってどこにあるのでしょう?