学校に行きたくない気持ちを肯定する「このままじゃ学校にいけません」
こんにちは。
パッと光って散った〜♪
「オーケーグルグル よねずけんしの はなび ながして」と言うのが口癖のちび。
永遠にリピートされる「打上花火」に頭がおかしくなりそうなくるみです。
いい曲でもずっと同じだとちょっとね…
さて。
にーさんの小学校生活はあと半年で終わろうとしています。
一時期、頭を悩ませたこともあったけれど、無事6年間通えそうでホっとしています。
一方、ひめは小2。
自分と同じ性別ゆえにわかる、女子社会の世知辛さ。
最近ふとした時に「休み時間遊ぶ子いないし」などとつぶやき始めたひめが少し心配です。
みんなと仲良く。
友だち100人できるかな。
目指せ、一致団結!チームワーク!かけがえのない絆!
そんな価値観が自然と植え付けられていた私。
嫌われないようにうまく立ち回って、友達の多い子をうらやましく思っていました。
社会人になってから、適度にそれなりに合う人がいればいい、友だちはそんなにいなくても大丈夫、ということに気付き、とても気が楽になりました。
さらに数年前に「友だち幻想」という本を読んで、大いに共感し、子どもにも伝えたいと思いました。
100%わかり合える人などはいない。
どんなに親しくなっても他者である。
ということを意識した上で、信頼感を築くこと。
分かり合えない人がいても、ぶつからず、自分も相手も否定せずに、適度に距離を置き、うまくやっていく力を付けること。
以前の価値観からすると、合理的で冷たく聞こえるかもしれませんが、そう思って生きることは全然悪いことではなく、むしろ現代の世の中に適応している考え方とのこと。
他者とうまく付き合うのは、自分がより良く生きるためです。
他者の邪魔もせずに自分のやりたいことを実現できるように生きるために。
なにより大事なのは折り合いを付けること。
今日は、その折り合いをうまくつけられない、1人の少女の物語です。
動物に擬態してやり過ごすエディの1日
エディは学校に行きたくない気分。友だちとも話したくなく、授業も受けたくない。1人でブランコに座って考え事。友だちにタックルして校長室へ連行されて…。たくさんの動物に擬態してなんとか学校生活を1日やり切った少女の心の動きを感じることのできる絵本です。
嫌々家を出発する顔のないエディ。その顔はのっぺらぼうです。
学校に着いて、コウモリのようにじっとしていたいと願うエディはリアルなコウモリとして描かれています。
その描写が初めは少し恐くも感じますが、慣れてくるとそれほど恐くもありません。
「大人の塗り絵」を想わせる、線の多いボタニカルな絵は、とてもおしゃれな色遣いで、私は好きでした。
絵文字の顔のような絵が人物の頭の上に書いてあり、気分を表しているのも、独特で面白い表現方法です。
エディは自分を殺し、嫌な時間を動物になってやり過ごします。
エディのクラスメイトも耳や角が生えていて、エディには何か動物に見えているのでしょうか。
チーターになり、気に入らないクラスメイトに突進してしまったエディ。
じーっと身動きせずにいれば校長先生は私に気付かないかも、とカメレオンになるエディ。
動物に擬態することで、居心地の悪い空間に存在することができるというのは、現実逃避でしょうか。
解離と呼ばれる心理状態かもしれません。
大きな翼が生えて空高く飛べるといいのに。
と一人きりで思うエディがとても可哀想になります。
けれど、周りからすると、授業を真面目に受けず、話も聞かず、反抗的で、友達に危害を加えた暴力的な問題児です。
その後、やっと家に帰ったエディはまだ動物のまま。
チョウやミミズになり、歯磨きもまともにできません。
そして。
寝る前に、洗面台で鏡を見たとき、初めて、のっぺらぼうのエディの目や鼻が見えます。
でも、うつっているのは エディでした。
あした 学校に いかなければならない エディでした。
どんなに動物の真似をして逃避しても、現実は変わらない。
生まれてから死ぬまで、自分という場所から逃れられない私たち。
そう思うとエディと一緒に泣きたくなります。
涙を流した エディにママが言います。
悲しいときに涙を流すのは人間だけだ、と。
エディはエディ。
それは受け止めなければならない。
受け止めることで涙は流れるかもしれない。
けれど、溜まった涙はざーっとこぼれ、その後はスッキリする。
私たちは動物とは違い、涙で流すことができる。
雨雲が雨を降らした後、ふわふわに戻り、お日様も出てくるように。
ひめとちびは、最初は顔のない少女に怪訝な顔をしていましたが、動物たちが気になったようで、エディのぬいぐるみが出てきたページで、「あ!エディがなってたイカとか、ぬいぐるみだったんだ!」と発見して喜んでいました。
エディが擬態していた動物は、一般的に愛される動物ではない少し気持ち悪い物もいましたが、それはすべて自分のぬいぐるみだったのです。
それを見て、なんだか切ない気持ちになりました。
エディの思考は、他の人には一見理解することができないけれど、その子なりの理由やルーツがあること。
それを善悪や正誤というものさしを使わずに、話を聞いてあげることができたら…
現実逃避してもいい。でもチータはだめ、と淡々とエディを送り出すママの愛にじんとします。
他の動物にならなってもいいけど、チータはだめ、という線引きこそが折り合いをつける、ということなのかもしれません。
自分が自分であることに辛さを感じるすべての人の心に寄り添う絵本だと思います。