3つのたねに絵本の水を

日々思ったこと、子育てエピソードと共に、3人の子供たち(にーさん(中1)ひめ(小3)ちび(年中))に読み聞かせた絵本を1冊ずつ紹介しています。

自分を客観視したい「ここは」

こんにちは。

向かい風だったり、暑かったり、疲れていたり、自転車のスピードが全然出ない日があります。

「今日はなかなか進まないなぁ」と言うと、ちびが「おしてあげる!」と後部座席から私の背中を力いっぱい押してくるので、少し元気が出たくるみです。

ちっとも速くはならないんですけどね。

 

さて。

自分がどのように周りから見えるのかを日々気にしてしまう、自意識過剰の私なのですが、周りからどのように見えているのかはいつでもわかりません。

 

そんなものは、誰もがわからないものなのでしょうか。

 

学生の頃、生徒間で作った卒業文集用のアンケートで、「〇〇ちゃんは動物に例えると〇〇」という項目がありました。

アンケートによると、私はハムスター。

カゴの中でカラカラ回ってそう、とのこと。

それを見て、衝撃を受けました。

 

私って、そんなイメージなんだ…と。

 

言われて初めて、背が低いし、ちょろちょろあわあわして空回りしていることが多いよなぁ、と気づきました。

 

その他、人から言われたことを思い出すと…

 

母から、「人前でふにゃふにゃしていて堂々としていない」

大学のとき、「共学出身っぽい」

「キビキビしてそうなのに動作が遅いね」

「保育士さんっぽい」

 

ぱっと思い出せるのはこのくらい…

意外と、あなたってこんな風に見えるよ、と言ってもらえる機会は少なく、他の人から見る自分像は謎に包まれています。

(そもそも人によってイメージも違うでしょうしね)

 

まあ、どれをとっても、私が理想とする「きりっと凛とした女性」からは名実ともにほぼ遠いです…。

 

40歳になった今、私の印象はどんなものなのでしょう。

やっぱり、理想とはかけ離れているような気がします。

 

もしも、自分という人間を冷静に客観視できたら、改善点も簡単に見つけられ、もっと理想像に近づけるのに。

 

周りから見た、自分をイメージすること。

視点を自分から離してみること。

 

たぶん、私は苦手です。

人と接するときにそんな余裕がないのです。

自分を客観的にとらえたいなぁ。

 

自分を客観視するということは、自分のいる、ここを他の視点から見ること。

 

「ここ」はいったいどんな場所なのか?

つまり、相対的に「ここ」をとらえるということです。

 

俯瞰したり、角度をかえたり、五感を使い、「ここ」という場所を見ること。

 

そんな体験ができる絵本があったので紹介します。

 

いろいろな視点を肌で感じて

男の子が椅子に座ったおかあさんの膝にちょこんと座っています。ここは、おかあさんの膝の上です。町の真ん中でもあります。ここは公園の近くであり、椅子の上でもあり、テレビの前、空の下、大地の上でもあります。異なる視点によって、同じ場所である「ここ」が、変わる感覚。そんな遊びを楽しめる絵本です。

 

男の子のいる場所を次々と違う言葉で言い表していきます。

ページをめくるごとに、視点が変わるのが、カメラを切り替えた映像を見ているような感覚です。

寄ったり、引いたり。

「天井の下」と言うときは、天井を見上げたような構図になります。

 

同じ1つの物を見るのでも、たくさんの視点があること。

当たり前のことですが、そのことを肌で感じさせ、実感として浮かび上がらせてくれます。

 

思えば、人の数だけ視点もあり、同じ場面にいても、誰もが違う景色を眺めています。

物理的に視界に入るものも違うし、想像する世界や価値観によっても違います。

そのことに改めて気付き、はっとします。

 

また、絵本では「星の表面」という表現がありますが、それはここが地球という星の上だと知っているからこその表現です。

知識として知らなければ、日常で「ここは星の表面だなあ」などと感じることはないでしょう。

地球の存在を意識することで、「ここ」と地球の関係を感じるわけです。

「地球の表面としてのここ」を感じることは、「ここ」で地球を意識して初めて可能になるということです。

 

だとしたら、人から見た自分を感じるためには、自分の方がその人を意識し、その人の物の見方などを知ることが必要、ということでしょうか…

つまり、自分を客観視するためには、その人の視点になりきれるようにその人を理解することが大切?

うーん、なかなかハードルが高いです。

 

それから、「雨の音のはしっこ」という表現も心に残りました。

音を、場所の表現に使っているあたり、さすが詩人です。

音波は物理の法則に従い、場所によって届いたり、遮られたり、反射するので、それは比喩でもないのかもしれません。

音源と遠く、わずかに聞こえるほどの場所を「音のはしっこ」と考えるのは面白い感覚です。そうだとしたら「匂いのはしっこ」もありますね、きっと。

 

などといろいろと考えたのは、私だけ。

 

我が家ではあまり子ども受けは良くなくて、ひめは、「天井の下」と聞いて「当たり前だよね、お家の中なんだから」と言っていました。

変わる視点よりも、変わらない男の子とお母さんに退屈そうで、風船を飛ばしてしまった少女を探す絵探しに必死になっていました。

それもまた興味深かったです。

少し大きい子の方が面白く感じる絵本かもしれません。

 

 

そして、ラスト。

ここを「ここ」と考えるぼくがいること。

 

たくさんの視点に囲まれているからこそ、「ここ」からさまざまなものが見える。

しばらく視点について考えてしまいそうです。

ここは

ここは

  • 作者:最果タヒ
  • 発売日: 2020/06/25
  • メディア: 単行本