"くん"でも"ちゃん"でもなく、気品漂う「トマトさん」
こんにちは。
夢にイエモンの吉井和哉さんとIKKOさんが出てきたくるみです。
思いもよらない人が登場する夢の不思議。
なんだか朝からねっとりです(笑)
さて、だんだんと暑くなってきましたね。
コロナで春をやり過ごし、恐る恐る外に出たら梅雨、という今年。
今年の梅雨は長いですが、早く梅雨明けして欲しい!とは思えません。
だって、梅雨が明けたら暑い暑い夏がくるから…
雨がじとじと、も困るけど暑いのも嫌い。
冷え性の私はクーラーも嫌い。
毎年、家族との設定温度バトルが繰り広げられます。
そんな暑い夏に、体の余計な熱をとってくれるおいしい夏野菜といえば、ゴーヤ、ピーマン、ナス!
これは私が大好きな野菜ですが、子ども達に人気がないので、なかなか買うこともできず…
我が家の子供たちに人気の野菜は、オクラ、トマト、キュウリ。
中でもトマトは、好みが違うわが子3人が揃って好む珍しいものです。
(でも夫が嫌い、というオチが…)
フルーツのようなたっぷりの甘い果汁。
独特の匂い。元気の出る色。
冷やして切るだけで美味しく、煮詰めればソースにもなる素敵な野菜、トマト。
今日はそんなトマトのお話です。
「くん」でも「ちゃん」でもない、気品漂うトマトさん
ある夏の昼下がり。真っ赤な完熟トマトのトマトさんが木から落ちました。とても暑い日でした。そばでは身軽なミニトマトたちの立てるころころぽっちゃんと涼しそうな川音。少し強がっていたトマトさんでしたが、暑くてたまらずとうとう泣き出してしまいました。夏のトマト畑の風景を描いたみずみずしい絵本です。
表紙を見て下さい。
ドアップで半開きの口。上を見る目線。なんとも言えない表情。
表紙を開けるとトマト色のページ。
「トマトさん」と書かれた文字の感じが私は好きで、もうそれだけで期待が高まります。
物語はトマトさんが木から落ちるところから始まります。
トマトのきから どった、とおちた。
どった、といういかにも重そうな音からも、大きく実った赤く立派なトマトが想像されます。
落ちたトマトの表情。
トマトちゃんでも、トマトくんでもない、大人の女性の凛とした少しプライドの高そうな、トマトさんです。
そんなトマトさん、やっぱり少し強い性格なのか、やせがまんをします。
川に行かないかと尋ねるトカゲたちに「泳ぐのなんかみっともない」と言い放つのです。
でも真夏の太陽は容赦なく照り付け、トマトさんのほっぺを痛いほど焼きます。
とうとう トマトさんは、まぶたを しんなりと とじた。
しんなりと、瞼を閉じる。
さっきの「どった」という音と言い、表現が私のツボでした。
本当は泳ぎに行きたかったトマトさん。
体が重くて身動き取れないトマトさん。
体重を気にする女性のようにデリケートな女心を持っているようです。
「あまい においの なみだ」という表現に熟したトマトのすこし緑くさい甘い香りが連想されて、口がトマトを欲してしまいます。
美味しそうだなぁ。
ぶくぶく ぷっくり
とっぷん とっぷん
私はもうこの絵本の擬音語のとりこです。
子ども達は、トマトさんがごろんごろんと転がる様子や、トマトさんの表情に夢中になっていました。
転がる時の表情が本当にユニークで魅力的で、みなさんにも実際に見て欲しいです。
そして、最後の河原の涼やかで穏やかな様子に、夏の日の縁側やみんなで食べた棒アイスや、気だるそうにいつも団扇を仰いでいた祖母の姿を思い出しました。
涼を求める夏のひとコマを切り取った場面です。
ああ、夏がくるなぁ。
暑い暑いと言いながら、スイカやアイスをたべたり、扇風機に向かって「あー」と言ったり、お祭りのかき氷で真っ赤に染まる舌や花火の火薬の匂い、掻きむしった足。
夏の風景が一気に思い出され、愛おしい気持ちになります。
もうすぐ本格的に暑い夏がやってきます。
トマトさんの気品を感じながら、みずみずしい真っ赤なトマトをたくさん頂きたいです。
自分は自分。みんなに合わせなくてもいい「やっぱりおおかみ」
こんにちは。
4歳のお誕生日にカードゲームをもらったちびは、入っている説明書を「メッセージ」と呼びます。
ゲームのルールを確認しようとする私に「メッセージにはなんてかいてある?」 と聞いてきます。
小さな印刷物を前に、自分は今メッセージを手にしているんだ、と思ってほっこりしたくるみです。
さて。
以前にも触れたような気がしますが、幼稚園前の井戸端会議が苦手です。
嫌い、というわけではなく、うまくできないのです。
自分のこの返答は合っているのかという不安があり、いつももぞもぞしてしまいます。
けれど、断る勇気も話を切るテクニックもなく、話しかけられると単純に嬉しくもあり、場に流されてそのまま参加してしまうという、自己主張がうまくできない人間なのです。
一事が万事、何においても、「これはみんなどう思うかな?」「みんなはどうしているんだろう?」と世論調査をしたくなり、多数派だとわかるとほっとする私です。
日本では私のような方も多いのでしょうか。
国民性を表した沈没船のジョークがあります。
ご存じの方も多いかもしれません。
ある客船が沈没しそうになったとき、それぞれの国の人にどのように声掛けしたら、自ら海上へ飛び込んでもらえるか、というものです。
アメリカの人には、「ヒーローになれます」
イギリスの人には、「紳士になれます」
ドイツの人には、「ルールで決められています」
イタリアの人には、「異性にもてます」
そして、日本人には、「みなさん、そうなさっています」
それを聞いてはじめは、自分はドイツ人に近いのでは、と思いました。
私はわりと真面目で、規則を守って行動するのが好きなのです。
が、よくよく考えてみると、周囲のみんなが破っている規則については、守る方に抵抗を感じます。
このジョークのドイツの人のようにはなれません。
「そうだよね、これ、きっちり守る方がおかしい…よね?」と思い、破ることに気持ち悪さを感じながらも破ります。
規則より、みんなの目。
私は典型的な日本人なのだな、と思ったジョークです。
今、大震災やコロナやいじめなどの人間関係…いろいろな脅威を前にして、この性質は恐いなぁと感じています。
自分が正しいと思ったことを口にしたり、自分の信じる道を行動することのできない弱さ。
少し疑問に思っても左右を見て揃えてしまうことの危うさ。
自粛生活やソーシャルディスタンスなどで、かつてないほど人との物理的距離が空いている今。
精神的な距離についても見つめ直す良い機会かもしれません。
ひとりでも生きていく
一匹だけ生き残ったオオカミは仲間を探して世界をさまよいます。仲間と暮らすウサギやヤギやブタを見て「け」と毒づくオオカミが、最後にたどり着いた場所は…?
シルエットのように描かれた黒い、一匹のおおかみ。
どこかに だれか いないかな
なかまが ほしいな
と仲間を探して歩きます。
でも うさぎなんか ごめんだ
仲間が欲しいおおかみですが、うさぎと仲間になるのは嫌なようです。
他の動物はみんな仲間と過ごしています。
窓からみんなで囲む温かい食卓が見えます。
け
と、おおかみは何度もつぶやきます。
墓場まで辿り着いたおおかみですが、そこでも仲間と過ごしているものがいて、孤独感が積もります。
みんな なかまが いるから いいな
誰もいないメリーゴーランドや高いところから見下ろした家々も、誰かが誰かと暮らしていることを連想させます。
私自身も、電車の窓から数えきれないほどの家々を見て、この中にはそれぞれ誰かが暮らしているんだなぁと、その果てしない人間の数を想像して呆然としたことがあります。
その中に1人も自分の仲間がいないと思ったら…
なんて圧倒的な孤独感。
おおかみがかわいそう、という気分になります。
ひめもおおかみを心配していました。
うさぎ狂のちびはもちろん、うさぎに反応します。
このうさぎさん達、穴が開いたような目が少し恐いのですが、ちびには関係ないようでした。
「うさぎさんいっぱい〜!」と喜んでいました。
さて。
おおかみは無事仲間を見つけられたのでしょうか?
それとも、このままおおかみは仲間を探し彷徨うのでしょうか?
それとも…?
ネタバレになるのではっきりは書きませんが、おおかみの辿り着いた心境に、清々しさをおぼえます。
みんなと同じと安心したい気持ちと、みんなとは違う部分を認めて欲しい気持ちとの矛盾に、日々悩まされている私たち。
誰かと全く同じ考えなんて、家族でもあり得ないのに、共感して欲しくて、共感してあげたくて。
どう思われているかばかり気にして、どうしたいかを見失っていて。
みんなと違っても、価値観が合わなくても、自分は自分として生きていく。
全員が同じ意見を持たなくても、それぞれがそれぞれに考えて生きていても、協力したり、助け合うことはできるはず。
仲間とは?
孤独とは?
自分とは?
考え出すと、なかなか深い絵本です。
自分は自分。自分としてより良く生きる。
勇気が出てくる1冊です。
転がるのって楽しい!「りんごりんごろりんごろりん」
こんにちは。
最近ひらがなを覚えたちびは、お手紙を書きたがります。
知っている文字を書き並べて、紙を折り、「さいごにトッピングしよ」と言いながらシールを貼って家族に配ります。
手紙にシールをトッピングかぁ、とちびの言葉の遣い方に注目してしまうくるみです。
休校期間に、私の両親と1日1回ビデオ通話を始めました。
その習慣が今も続いています。
ひめは笑い上戸で、先日も母とのやり取りで、笑いが止まらなくなり、2人でしばらく笑い転げていました。
思えば、「笑い転げる」という言葉は、その状態をとてもよく表しています。
実際には転げてはないけれど、コロコロ転がっているように笑うという動きのある言葉。
「箸が転んでもおかしい年頃」という言葉もあるけれど、「笑う」と「転ぶ」には何か強いつながりがあるのでしょうか。
そんなことを思ったのは、転がる絵本に対する子どもたちの反応が想像以上にいいからなのです。必ず笑います。
昔話のおむすびころりんも、すっとんとん、となんだか愉快ですよね。
そんな少し昔話の雰囲気もある、転がるのが楽しい今日の絵本です。
ごろごろ転がりころころ笑う
山の中でリンゴに座るひよどり。そこにもう一羽のひよどりが来てリンゴを争っていると、今度はリンゴをねらってサルが来ます。ところがこちらも仲間と大げんか。そのすきに横取りしたカラスの口に、リンゴはすっぽりはまってしまい…。リンゴには興味のない森の動物たちまで巻き込んで、リンゴと一緒に大移動。動物たちの様子がとても楽しい絵本です。
あるひ どこかの やまのなか
だれかが くれた りんごに すわり
いねむりしている ひよどり いちわ
なんて のどかな ひるさがり
と始まる絵本。
ずっとこの調子でリズムよい文章が続きます。
出てくる動物が、日本の里山をイメージさせるためか、どこか昔話を聞いているようなノスタルジーを感じます。
1つのりんごを小動物が取り合っていると、なんだなんだと集まってくる動物たちの様子が愉快です。
うさぎが出てきたところで、ちびはもううさぎにくぎ付け。
「うさぎさん、どこ?」「うさぎさん、だいじょうぶ?」「うさぎさん、りんごたべて、はいどうぞ」とページをめくるたびにうさぎの安否確認とケアを怠りません。
さて、ここから少しネタバレにもなってしまうのですが…
この絵本の一番の山場は何と言っても動物たちの転がる様子。
くまは ごんごろ しかごろりん
うさぎ こんころ さるころりん
からす くるくる ひよくるりん
とあるように、登場する動物たちが丸くなって転がっていきます。
キャハキャハ笑うわが子たち。
これってうちだけなんでしょうか??
転がる描写はいつも大笑いです。
私もこの部分がとても好きなのですが、それはこの文章。
日本語のオノマトペは日本語が母国語でない方には難しいという話をよく聞きますが、この3行だけでも、オノマトペの醍醐味が詰まっています。
「ごんごろ」と「こんころ」は「ごろごろ」や「ころころ」と転がり方が少し違う。
空中で舞う様子の「くるくる」や「くるりん」の軽やかさ。
転がり方や、転がる物の大きさまでが、頭に浮かぶ オノマトペの豊かさを感じます。
さらにこの絵本では動物の名前や「りんご」が言葉に組み込まれていて楽しく、大好きになってしまいました。
さて、りんごは結局どうなったのでしょう?
読んで確かめてみて下さい。
最後のページのさるの顔がとても可愛いです。
明るい未来はきっとくる「それしかないわけないでしょう」
こんにちは。
サンダルを履くために足の爪にマニキュアを塗ったくるみです。
毎年この作業をすると夏が来た感じがします。
40回目の夏。爪も年をとったなぁ…と感じた今年です。
さて。我が家には3人子供がいます。
まだ子どもを産む前、子どもはみんなテレビが好きだと思っていました。
「うーたん(Eテレのキャラクター)が大好き」「テレビを見せている時だけ家事ができる」「あかちゃんはCMの音に反応が強い」「テレビに近寄りすぎる」などなど、テレビ好きの子供の話をたくさん聞いていたからです。
けれど、にーさんはテレビが好きではありませんでした。
ちょっと見てはすぐイヤになってしまいます。
こだわりが強い彼は、好きな歌以外は興味なし。
「ジューキーズ」というEテレ「おかあさんといっしょ」の重機車両の歌が大好きで、
その月の歌として毎日流れていたその曲が、月が変わって流れなくなったとき、彼は怒り出しました。
Eテレでは動物や乗り物などを真似っこをして踊るコーナーもあり、「みんなでゾウさんになっちゃおう!」と、腕を長い鼻に見立ててユラユラ動かしてパオーン!などと踊るのですが。
にーさんはガン無視…
微動だにしませんでした。
子どもは真似が好きで、楽しく踊るのものと認識していた私は唖然。
こだわりが強すぎるのは普通じゃないレベルなのかな。
赤ちゃんのときにテレビを見せなかったからなのかな。
もっとママ以外のものと触れ合った方がいいのかな。
心配になりました。
さて。
時が過ぎ、2人目のひめが誕生。
テレビ大好き、踊る踊る。
アンパンマンの最後の踊りも教えなくても完コピです。
真似っこコーナーでは、忠実に踊ってくれました。
それを見て、私は思いました。
子どもには2つのタイプがいるんだ。
テレビが好きで一緒に楽しく踊るタイプと、テレビが好きでないタイプと。
そして、3人目の子供、ちび。
この子はテレビが好きなのかな?踊るかな、踊らないかな?
とワクワクして観察です。
真似っこコーナーで「今日はヘリコプターだよ!パタパタパタ~」と踊る子役のお姉ちゃんを凝視しているちび。
すっくと立ちあがります。
おっ、これは踊る。きっと踊る子だ!
と思っていると…。
「〇〇ちゃん(ちび)はウサギがいい。ピョンピョン♪」
とウサギの真似をし始めました。
……そうきたか。
テレビと一緒に踊った、とも言えるし、テレビ通りに踊ってない、とも言える。
2つの選択肢以外のの無限の可能性をつきつけられたのです。
これが多様性というものか、と。
「する・しない」、「すき・きらい」、「いい・悪い」、「簡単・むずかしい」…
の間には果てしない世界が広がっています。
それしかないわけないでしょう。
今日はそんなテーマの絵本です。
明るい未来を想像しよう
学校から帰ってきたお兄ちゃんに「みらいはたいへんなんだぜ。」と教えられた女の子。食糧難、感染病、戦争…迫ってくる恐ろしい未来図に驚いておばあちゃんに相談しに行きます。すると、おばあちゃんの答えは、両手を広げ、満面の笑みで「だーいじょうぶよ!」。未来がどうなるかなんて誰にもわからない。2択や予測では表しきれない無限の可能性を考えさせられる絵本です。
暗いニュースが多い昨今。
ああ、もうお先真っ暗!と嘆きたくなることも多く、気分が沈みます。
そんなときの魔法の言葉。
「それしかないわけないでしょう」
お兄ちゃんに暗い未来を突き付けられた女の子におばあちゃんが教えてくれる言葉です。
予測される悪い未来。
けれど、そんな未来しかないわけない。
毎日ウインナーを食べられる未来や、人参禁止の法律ができる未来、1日中パジャマでもいい未来。
女の子が考える未来が、子どもらしく、可愛くて、思わず笑ってしまいます。
毎週クリスマスが来る未来はうちの子たちも「それがいい!」と声を上げました。
話は 、2択や言葉の定義にまで広がっていきます。
これとこれ、だけから選ばなくてもいい。
好き、嫌いの間には言葉にはできない様々な感情がある。
またまた考えさせられてしまうヨシタケさんの絵本です。
それしかないわけない、たくさんの可能性を考える、ということは物事を体系化せずに認識する、ということ。
〇〇ならこうなるはず。こうするはず。こう使うはず。こう言うはず。
という考えを捨てる、ということ。
カテゴリーに縛られないということだと思います。
子どもとは。男とは。女とは。3歳とは。日本人とは。と決めつけず、個性を感じて、その子を見る、ということ。
前述の3人3様の例のように、子育て中に気付くことも多い考え方です。
子育てだけでなく、人や動物、生き物(もしかしたら植物も?)と真剣に向き合う経験をすると、カテゴリー化できないこと、例外的なことに多く直面します。
言語化できないような曖昧なものに対面し、それをそのまま受け入れなければいけない場面があることに気付くのです。
言葉にしてしまうと一律に規則正しく並んでいるように見える世界には、じつは曖昧なものに溢れた無限の可能性が広がっている。
白と黒のその間に無限の色が広がってる (Mr.children・GIFT)
という感じでしょうか。
この絵本には、「それしかないわけないでしょう」という考え方に気付いた女の子の自由な発想の豊かさが描かれています。
そして、長く生きてきたおばあちゃんの包容力、寛容さ、明るさに救われます。
不安を感じている子どもにも勇気と笑顔をくれる絵本です。
ひめは、表紙のタオルの使い方だけでも長い時間楽しめました。
ひめは、自由な発想が大好きです。
「それしかないわけないでしょう」的発想は得意なものの、「それしかないわけない」内容が暗い未来予想ばかりのネガティブ私がこの絵本からもらったもの。
それは、明るい未来を想像する力、
「だ~いじょうぶよ!」と笑い飛ばす力、
明るい想像が作り出す未来への希望の光、です。
想像は創造に、子どもの未来は世界の未来に。
その一方で、何に対しても考えすぎて決められないタイプの私は「それしかない」にも憧れます。
考えすぎて選択に疲れたとき、 誰かが2択に絞ってくれたら…と思うこともしばしば。
2択にはその間にある曖昧な物、入り混じったものを認めない潔さがあります。
考えを進めたり、データをとる上では、どちらかを決めることも重要です。
曖昧なものに言葉を付加することも、情報を伝える上では必要です。
この2つの見方。
おそらく、どちらもバランスよくうまく使っていく必要があるのだろうなぁ。
などなど、大人にも考えるきっかけを与えてくれる絵本です。
不安感が高まる今、とてもおすすめです。
想像力で旅をする「ジャーニー」
こんにちは。
毎朝、紫陽花に心奪われるくるみです。
年を取るごとに季節の移ろいに気持ちが向くのはどうしてなんでしょう…
さて。
休校中、2年生の課題に取り組むひめに付き合ったことで、ひめが何が得意で何が苦手なのかがよりよく見えてきました。
ひめは作文が得意です。
自由に文を作るという課題ではポンポンと次々言葉が出てきます。
逆に、文章を読み取るのは苦手。
ここでも、にーさんとは正反対だなぁと感じます。
にーさんはインプットがとても得意。
読み取りも速く、記憶もよく、ルールに従って読み解くことも得意です。
けれど、自由に何かをしなければならない場面ではピタッと手が止まってしまうのです。
私も文章は書く方が苦手です。
ブログを書くのもとても遅いです。
読むのもまあまあ遅いですが…汗
小学校の先生に「作文のコツは、とにかくどんどん書くこと。細かい間違いは後で直せばいいのよ」と言われたのを今でも覚えています。
けれど、どうしても表現の細かい点などが気になって前に進めません。
なので、次々と文を作っていくひめに、感心します。
Eテレの「みいつけた!」という子ども向け番組の中で、「おてて絵本」というコーナーがあり、大好きだったのを思い出しました。
園児が両手を開いて絵本を読むように、自分で物語を創作していくのです。
脈絡もなく、オチもない短い話に、いつも引き込まれてしまいます。
そこには、想像力があります。そして、想像した世界を表現する力。
その力に何の意味があるのか…
ここには実在しないものを想像して、想いを巡らすだけの夢物語に。
自分だけが描いている想像の世界を表現して、他の人と共有するただの遊びに。
いったい何の意味があるのでしょう。
この不思議な力で、人類は神話を共有し、協力し、時には洗脳され、ルールや道徳に基づいた社会を作り、ここまで生命を増やして存続してきたそうです。
たった1人の頭の中の想像が、自分を救ったり、たくさんの人を動かしたり、便利な道具を作ったり、まだ見ぬ未来を作っていきます。
巨大な力、想像力。侮れません。
今日はそんな想像の世界が楽しめる絵本です。少女と一緒に想像の世界へいざ。
想像力を形にできる魔法のマーカー
忙しそうな家族に相手にされず、部屋に戻った少女は、赤いマーカーを手にします。マーカーで描いた扉を開くと、そこには別の世界が。少女と一緒にスリルと感動に満ちた冒険へ。
表紙を見て、まず目に飛び込んでくるのは「ジャーニー」という赤い字と、赤いボート。
幻想的で童話に出てきそうなお城のような建物の淡い色彩に、不自然なほど映える赤です。
というのも、この赤こそが、この絵本の要。
その赤いマーカーペンは魔法のマーカーなのです。
はじめに、少女は自分の部屋の壁に小さな扉を描きます。
すると、その赤い扉は本当に開くことができます。
マーカーペンで描いたものは実物になるのです。
そして、扉を開くと、そこはたくさんのランタンのようなものがぶら下がった、不思議な霧の中の森。
幻想的な別の世界が広がっています。
そこで、次に少女が描いたのはボート。
その赤いボートに小さな川を下っていくと、表紙の建物にたどり着きます。
水路が通るその建物は、ジブリ映画に出てきそうな、想像力を掻き立てられる雰囲気を持っています。
川に続くお城の水路をそのまま進んでいくと…
あ、水路が途切れてる!ボートが落ちちゃう!
と、
危機一髪で少女は気球を描き、脱出。
ほっと息をついたのも束の間、空を自由に旋回している尾の長い紫の鳥が現れて、物語は急展開。
紫の鳥を助けたことで、少女は兵士のような人に捕らえられ、マーカーを落としてしまい、絶体絶命か…!
というドラマティックな展開になっていくのです。
実はこの絵本はまったく文がありません。
説明がないせいで、各ページの赤はより映えて、視線が引きつけられ、ストーリーをつかみやすくなっています。
小さい子にもしっかり伝わります。
とても上手いテクニックです。
少女が自分で乗り物を描き、乗り換えていくのが面白く、ひめは「ボートほんとに乗れるんだね」「気球だ!」と楽しんでいました。
紫の鳥の正体は…と読み進められるストーリーも魅力的で、ラストも良く、読後感も心地よいです。
私たちは想像力でつながることができる。
想像力で遊ぶことができ、想いを共有し、笑い合い、より良い未来を創造することができる。
そんな気持ちになります。
建物や飛行船、自然などの絵も素敵です。
皆様もぜひ。
パンダは熊のようで猫のよう「パンダしりとりコアラしりとり」
こんにちは。
ちびに「いまウノできる?」とつきまとわれる、くるみです。
ちびは、カードゲームのウノにはまっています。
さて。
家族と暮らしている方は毎日どんな会話をしながら食事をしているでしょうか?
私が憧れるのは、それぞれが今興味を持っていることの話や、今日の出来事を話して、聞いて、笑って、共有して、という絵にかいたような食卓です。
が、我が家の実態は…
「箸を置かないで。はやく食べて」(私)
「これ、食べられない」(ひめ)
「文句言わずに食べろよ」(にーさん)
「にいにには関係ない!」(ひめ)
「にいに、こっち見ないで」(ちび・突然の参戦)
「なんでだよ!」(にーさん)
「はいはい、食べる~!」(私)
といった具合。
和やかな食卓とは程遠い、がちゃがちゃした戦場です。
話をしようとしたら、だいたいは誰かが
「しりとりしよう!」
なんて言い出し、しりとり大会になってしまうのです。
(そして、ルールや、最初の人を決めるだけで一回はもめるという…)
しりとりは古典的で(起源がいつかはしりませんが…)単純な言葉遊びですが、いろいろなアレンジがありますよね。
ジャンルしばりや文字数しばり、後ろ2文字をとるのや禁止ワードありなど、大人がやっても楽しいルールのものもあります。
うちでは、3才のちびは何でもあり、7才のひめは考えて分からなければ何でもあり、私とにーさんはジャンルしばりなどのルールで、などとハンデをつけて楽しんでいます。
そんな日常のせいで、思わず手に取ってしまうしりとり絵本。
しりとりの懐の深さを感じる一冊です。
しりとりから感じる、溢れる動物愛
さあ始めよう、パンダしりとり。「うまれたときはきれいなピンク」「くさのうえをころがるのがすき」「きばでがりがりタケをかむ」…文章でつなげていく動物しりとり。パンダ、カンガルー、チンパンジー、ゾウ、シロクマ…みんなのお気に入りの動物はいるかな?これを読んだらついつい自分でもやってみたくなっちゃうしりとり絵本です。
パンダしりとりと聞いて、
「パンダがテーマ?ジャンル絞りすぎでしょ。シャンシャン?シンシン?...って『ん』ばっかり!」
と思って読み始めると、
うまれたときは きれいな ピンク
!!!
文章じゃないか!
しりとりで文章はずるいですよね。
先日も、しりとりで「もりのなか」と言ったひめに、「『の』でつなげるのはダメなんだよ」と教えたばかり。
文章もOKにしてしまうと語尾は変え放題だし、完全な反則です。
でも、そんな反則に目をつぶってしまうくらい、このしりとりのすごいところはパンダについての情報量。
動物に対する熱いまなざしを感じるところなのです。
きばで がりがり タケを かむ
パンダに牙…そうか、考えたことなかったな。
いっぱい ゆきが ふっても へいきだよ
本来の生息地は寒冷地だっけ?
ねこみたいな つめで きのぼり
そうか…牙に爪。
牙は強くて熊のよう、ネコみたいな爪…あ、パンダって大熊猫って書くよね。
なんて思ったり。
その動物について、再確認したり、初めての知識を得て見る目が変わったり、絵を見て親近感を感じ、さらなる興味も湧いてきます。
絵本の中には、パンダの他にも、題名のコアラも含め全部で9種類の動物が描かれています。
それぞれの動物の生態について、しりとりで繋がったリズムよく読める短文と、動物の特徴や挙動が伝わってくる親しみやすい絵で説明してくれているのです。
しりとり図鑑といったところでしょうか。
こんな感じで、自分の好きな物についてしりとりで紹介するのは楽しそうです。
あまのじゃく 11年で流石に慣れた 「きらい」は「すき」で 「いいえ」なら「はい」(にーさん)
妹に負けてもにこにこ 「すごい!」と言える その寛大さを 見習いたいな(ひめ)
泣くと 何でも許してもらえる 甘やかされた ムードメーカー(ちび)
なぜか初めは短歌調になってしまいましたが。
こんな感じでどんどん繋げて自由に遊べます。
動物や言葉遊びが好きなら、とてもおすすめの1冊です。
働き方について考える「しほちゃんのシフォンケーキ」
こんにちは。
体重の増加が深刻になってきたくるみです。
そんな中で、こんな話題ですが…
お菓子作りはお好きですか?
私はというと、以前は全く興味がありませんでした。
ご飯だけでも大変なのに、さらに時間を割いて調理すること。
泡だて器、粉ふるい、ケーキ型などの特殊な道具を揃えること。
バターでべたべたした調理道具を洗うこと。
どれをとっても面倒で。
というより、そもそも、出来上がったお菓子にあまり興味がなかったのです。
甘いものがそれほど…
けれど、数年前になかしましほさんのクッキーに出会いました。
バターを使わず、洗い物もほとんど出ず、簡単、短時間でできる、ポリポリと美味しいクッキー。
とても気に入って、何度も作って家族で食べていたのですが、私には小麦粉が体質的にあまり合わないらしく、お腹にたまった感じがして…
米粉に変えたらいいのでは?などとやってるうちにお菓子作りに少しはまりました。
数年前の私からはまったく予想できないことです。
お菓子作りなんて絶対しないと思っていたのに。
「絶対」なんて、一瞬の感情に過ぎないものと痛感しました。
そして、とうとう、最近ケーキにチャレンジしました。
なんとなく難しそうで、クッキーよりずっと面倒くさそう。
そして、何よりケーキに魅力を感じない。
と、敬遠していたケーキなのですが、この絵本を読んでからというもの、シフォンケーキが作ってみたくて…
シフォンケーキ作りが得意な女の子のお話です。
がむしゃらに頑張ることが良いことではない
ケーキ作りが大好きなしほちゃん。中でも得意なのはシフォンケーキ。食べに来た友達のたみちゃんの提案でお店を開くことにしました。お店は大繁盛。寝ないでケーキを作っていたしほちゃんは、具合が悪くなってしまい…
最初はお母さんから教わったケーキ作りですが、こぼしちゃったり、焦げ焦げだったり、様々な失敗を経験し、どんどん上手になるしほちゃん。
その熱意には目を見張ります。
お店まで出しちゃって、立派な起業家です。
メニューはまっちゃ、レモン、みかん、バナナ。
「しほちゃんのシフォンケーキ」というネーミングも、とても美味しそうです。
(偶然にも、なかしましほさんと同じ名前ですね!)
みんなが買いに来てくれるので頑張って頑張って、頑張りすぎて…
具合が悪くなっておかあさんに抱かれるしほちゃんの小ささにハッとします。
頑張らないでもいいんだよ、と言ってあげたくなります。
ところが、みんなはお店のために諦めません。
子どもたちに溢れる使命感。
食べさせてあげたい、しほちゃんを助けたい、お店を閉めたくない、という気持ちにじんときます。
美味しいケーキにこだわりを持ってケーキの質に妥協を許さない、しほちゃんの強い意志にも感心させられます。
自分が作ったものをみんなが喜んで食べてくれるって嬉しいですよね。
ひめはケーキが大好き。(私と違って生クリームも大好きです。)
「美味しそう」「私も作ってみたいな」と言いながら、眺めていました。
ちびは、
「コノ ミセノ シフォンケーキハ、セカイイチト、ワタシ オモイマース。トレビアン」
という外国のお客さんのセリフを片言風に読んだら、たいそう気に入って、「もういっかい!!」と何度も繰り返し読まされてしましました。
むりは せず、つくれる ぶんだけ つくりました。
継続するための働き方のバランス、できることを丁寧に取り組むこと、譲れないこだわりは大事にすること、一人で背負い込まずにアウトソースすること、など、大人の私にも響くものがありました。
そして、何より楽しそうに作るみんなを見て、シフォンケーキを作ってみたくなったのです。
卵を分けたり少しは面倒ですが、何度か練習して米粉でふわふわのケーキが焼けるようになりました。
子供たちが美味しそうに食べてくれるのが嬉しいです。
作りたがっているひめにも、そろそろ教えてあげられるかな、とワクワクしています。
にしまきかやこさんの可愛い絵と頑張るみんなの姿がほほえましく、元気をもらえる1冊です。